子猫を連れてきた野良猫_その後1
前回までのあらすじ
2016年2月中頃、やせ細った野良猫が我が家の庭先でニャーニャー鳴いているので、餌を与えたところ毎日通ってくるようになった。その野良猫を「タマ」と名付けた。それからしばらくしてタマのお腹が大きくなっていることに気付いた。4月末になり、なんということか、タマが子猫3匹を連れてきたのだ。不吉な予感が的中してしまった。子猫はオッパイをよく飲むのだろう。タマの食欲は尋常ではない。これから子猫の世話までしないといけなくなる。具体的なことはよくわからないが、これからたいへんなことになりそうだという不安が頭をよぎった。
日一日と子猫は成長し、生まれて2カ月が経った6月末になると近所の庭を駆け回ったり、木に登ったり、子猫同士で追っかけっこしたりと元気いっぱいだ。そして、タマは与えた餌を口にくわえて子猫に持っていくようになった。離乳が始まったのだ。しばらくして、子猫が2匹になってしまった。いなくなったのはもっとも成長の遅い小さな子猫だった。その頃、しきりに子猫達の上をカラスが舞うようになったので、カラスに狙われた可能性があるが確かなことはわからない。
野良で生きていくのはたいへんだろうと思った私は、子猫を捕獲して里親を募集することを決心し、さっそく捕獲機を購入するなどの準備に取り掛かった。猫は妊娠してから数か月で再び妊娠する可能性があるという。案の定、我が家の裏庭でタマとオス猫が交尾している現場を見てしまった。まずはタマが再び妊娠しないように、子猫のパパ猫を捕獲して去勢手術をしないといけない。そして6月20日、運よくオス猫(ゴンタ)を捕獲して動物病院に連れていき去勢手術を行った。
つぎに、子猫の保護だ。ママ猫のタマを先に捕獲すると子猫の命があぶないので、子猫を先に捕獲する必要がある。これにはだいぶ苦労したが、運よく7月18日、子猫の捕獲に成功した。しかも理想的に2匹同時に捕獲できた。つぎに7月末にタマを捕獲して、すぐに動物病院に連れていき避妊手術を行い、手術後連れて帰るとすぐに野に戻した。
7月18日に捕獲した子猫は、事前に準備していたケージに入れた。それから想定外の悪戦苦闘が始まる。捕獲から10日が過ぎても、子猫の鳴き声と、その鳴き声を聞きつけて子猫を捜し回るタマの鳴き声が連日住宅街にこだまする。さらに、子猫に触ろうとすると、牙をむき出して激しく威嚇したり鋭い爪で攻撃してくる。こんなはずではなかったと悩みながらも、いつかは里親の元に届けることを夢見て世話を続ける。
そして、その後も次から次へと降りかかってくる思い通りにいかない出来事に思い悩むことになる。
ふっくらしてきたママ猫のタマ
捕獲して間もないリリ(奥)とララ(手前)
落ち着いてきた子猫
子猫は捕獲した直後、恐怖に怯えケージ内に置いた箱の中に閉じこもっていた。しかし、捕獲してから2週間が過ぎた8月になり少し落ち着いてきたので、仕事の合間をみていっしょにいる時間をなるべく多くとるようにした。ケージに猫ジャラシなどの遊び道具を置くと無邪気に戯れている。たまにケージに指を入れて遊びを誘うと、興味深そうに指を見つめている。子猫に刺激を与えないように、やさしく語りかけると目を閉じて眠ることもある。またCDコンポでクロモニカの演奏を聞かせると、リラックスしてよく眠る。しかし、体に触れるようになるまでには程遠い状況だ。
食事は1日に2回、通常のエサに蟹タマやマグロなどの加工フードに牛乳を入れたものを与えている。
ハンモックが大好きなリリとララ
子猫はこれまでいつも緊張して尻尾を内側に曲げていたので、性別を判別することすらできなかったが、最近いくらかリラックスしてきたのでお尻を観察する余裕もでてきた。確信は持てないが2匹とも女の子のようだ。そこで、久しぶりに帰省した娘が名前をつけてくれた。大人しい方を「リリ」、ピリピリしてよく威嚇する方を「ララ」と名付けた。還暦を過ぎた吾輩には及びもつかない洒落た名前だ。
8月12日、捕獲から3週間が経った。わずか3週間というのに見る見る体が大きくなってきた。子猫に触ろうとすると威嚇しながら逃げるので、まだキャリーバックに入れて動物病院に連れていくことができるまでには程遠い。先が見えない状況に変わりはない。成長が早いので早めに診察と避妊手術をして、里親会(ボランチティア団体が主催している野良猫の譲渡会)に参加したいのだが・・・
8月16日、間もなく子猫を捕獲してから1カ月が経とうとしている。ここ数日の変化として、猫の夜泣きしなくなった。近所迷惑ではないかと気にしていたので、これだけでもたいへん助かる。これまで鳴き声が外に漏れないように窓を閉め切っていたため、部屋に異臭が充満することが多かったがそれも改善される。夜泣きがなくなったので子猫と寝室を共にすることにした。このほうが早くなつくかもしれない。また、1日に数時間ケージから出すことにした。私が部屋にいると警戒してケージから出てこないが、部屋から出てしばらくすると何事かと思うほどの大きな音を立てて狭い部屋を駆け回ったり、ビー玉をころがしたりして遊んでいる。
まよい
8月28日、就寝前に蛍光灯を付けて子猫に言葉をかけようとしたところ、牙をむき出してシャーシャー威嚇してきた。この一カ月半の努力も空しく、いまだに触ることすらできないことにさすがに気落ちした。人の介護とは比べようもないかもしれないが、この焦燥感や空しさは介護に疲れ果てた人と類似のものではないかとも思ったりする。
翌日、今後の対応について、野良猫の保護活動を行っている団体の代表に相談した。すると、「一カ月経っても威嚇しているようなら、馴れるのは難しいのでないか。去勢または避妊手術をして野に戻してやるのがよいのではないか」というようなアドバイスであった。このアドバイスを受け、さっそく子猫にこのことを話しかけようとすると、目を細めて私を見つめているではないか。やはり過酷な生活が待っている野に戻すことに踏み切れない。
9月15日、捕獲から2カ月になろうとしているのに子猫は触られるのを極度に嫌がる。しかし、このままではいつまで経っても里親を見つけることはおろか、動物病院に連れていくこともできない。そこでなんとかスキンシップをとる方法はないかと考え、手のひらの上に好物の小魚を置いて誘ったところ、恐る恐る近づいて食べるようになった。しかし、意図的に触ろうとすると逃げてしまう。特に、ララはシャーシャー威嚇しながら、針先のような鋭い爪で攻撃してくる。何度も引っ掻かれて血が滲んでしまった。
この子猫たちのためと一生懸命やってきたつもりだが、どれだけ通じているのかわからない。食事の世話、糞尿の始末だけでなく、子猫と同じ部屋で寝るなど、ほぼ一日中世話をしているといってよい。相当ストレスが溜まり、イライラしている自分に気付く。
ところで、「NHK:岩合光昭の世界ネコ歩き」に出てくる野良猫は、どの猫も大らかでのんびりしているのに、都会の野良猫はなぜこうも人を恐れ、ビクビクしているのだろう。せちがらくピリピリした都会の空気を敏感に感じているのではないだろうか。岩合さんは「ネコは人間とともに世界に広まった。だからその土地のネコはその土地の人間に似る」と述べている。野良猫に関心を持ち、もっと大らかにやさしく接してあげたいものだと思う。
子猫のいたずら
10月9日、早いもので捕獲から3か月になろうとしている。いまだに触ろうとすると逃げる。無理に捕まえてしまってはこれまでの努力が水の泡となってしまう。当初は、今頃は里親を見つけて手放しているつもりだったが、想定外の展開になってしまった。
さらに部屋の壁やカーテンを鋭い爪で傷つけてしまうことに困り果てている。そのため壁全面に段ボールを張り付けた。しかし、段ボールを固定しているピンを必死に抜いて、段ボールの裏側に潜り込んで壁を傷つけてしまう。そこで段ボールをガムテープで張り付けるとともに、家具で押し付けて固定するようにした。まさに子猫との知恵比べだ。また、カーテンによじ登って遊ぶことも覚えたらしく、新調したばかりの高価なカーテンを傷つけてしまった。こうなるとため息ばかりである。いつも、兄弟仲良く狭い部屋でいろいろな遊びを考えながら遊んでいる。一匹だったらここまで活発にいたずらをしないのではないだろうか。
爪とぎ防止のための段ボール
爪痕で傷だらけになったカーテン
さらに悪いことに、別居している二人の娘が猫アレルギーであることがわかった。たまに帰ってくるとクシャクシャ鼻水を垂らして涙目になってしまう。予想しなかったことが次々と起こる現実に、これからどうすればよいのか途方に暮れているというのが正直なところである。
タマの元に戻すことを決断
10月25日、人を警戒して威嚇が止まないままでは里親を見つけることも無理だろう。馴れてくれる見通しも立たない。これ以上、家の中で飼うのは負担が大きい。この数か月、ほんとうに悩んだ。子猫を野に戻すのはいろいろな面で危険がいっぱいだからだ。タマの元に戻すといってもタマが受け入れてくれるかわからない。子猫だってタマを覚えているかわからない。外はこれから寒くなる。また、餌は我が家に通ってくる限りごちそうを与えるつもりであるが戻ってくるかわからない。ねぐらは我が家の軒下に用意する予定であるが住み着いてくれるかわからない。
しかし、子猫達には生まれてから3か月が過ぎるまで姉妹仲良く追いかけっこした広々とした大地がある。よく登って遊んだ木々もある。かくれんぼした草花もある。狭い部屋に閉じ込められて一生を暮らすのに比べると、このほうがはるかに幸せかもしれない。そして、ママ猫のタマと一緒に過ごし餌ももらえたら、たとえ短命に終わってもそのほうが幸せかも知れない。
「幸せとは何か」、人の場合は高い知能による多様な価値観があるので一言では表せない。しかし、動物の場合は比較的単純に考えてよいかもしれない。私は、動物にとっての幸せとは、住食足り、自由を束縛されずに生きることだと思っている。住食は生きるために最低限必要なもの、自由は幸せを満たすものだろう。リリとララにとっての自由とは、生後3か月まで育った大地を土や草花の臭いを嗅ぎながら自由に駆け回ることではないか。
いろいろと悩み抜いた末に、ついに避妊手術と耳カットをしてタマの元に戻す苦渋の決断をした。実は避妊手術をもう少し早めに行うことは可能だったのだが、耳カットをするかどうかで悩んでいた。野に戻すのであれば耳カットしたほうがよいだろうし、里親を募集すのであれば里親は傷付いた猫は望まないだろうから、耳カットはやるべきでないからである。
避妊手術
動物病院に連れていくには子猫をキャリーバックに入れて連れていくしかない。しかし、子猫に触ることができないので、キャリーバックに入れるのも子猫の意思に任せるしかない。動物病院に連れていくためのキャリーバックとして、3か月前に捕獲に使った捕獲機を利用することにした。3か月前、あの捕獲されたときの恐怖の体験を覚えているのだろう、捕獲機に近付こうともしない。さらに、狭い捕獲機に2匹同時に入ってくれないといけない。1匹だけを捕獲したのでは、その現場を目撃した他の子猫が2度と捕獲機に入ってくれない可能性があるからだ。なかなかの難問であったが、捕獲機の扉を解放したまま、中に大好きな食べ物を置いて子猫を捕獲機の中に誘導することにした。そしてトライ開始から1週間後の10月28日、2匹同時に入った瞬間をとらえ、捕獲機の扉のフックを手動遠隔操作で外して予定通り捕獲することに成功した。
そして、さっそく動物病院に連れていき無事避妊手術を終了した。2日後に迎えにいくと、恐怖に怯え憔悴しきっていた。捕まえられ見知らぬ場所に連れていかれ、麻酔の注射を打たれ、子宮を切り取られるというのは、子猫にとって想像を絶する恐怖だったに違いない。人間社会の片隅で生き抜いていくにはこれがベストなのだと子猫に謝るしかない。1週間ほど家で養生した後、ママ猫タマと再会させるつもりでいる。
避妊手術を終えて(耳カットがしるし)くつろぐリリとララ
3カ月半ぶりの親子対面
11月5日、いつものように午後3時頃、ママ猫タマが我が家に通ってきた。タマと子猫がどのような反応を示すのか、まずは様子を見るために子猫はケージに入れたままで対面させた。私はタマと子猫が感激して泣きわめくことを期待していた。しかし、子猫とタマはビックリしたように目を丸くして、長い間お互いじっと見つめ合ったままでいた。そして、タマは食事が終わると何事もなかったかのようにどこかへ消えて行った。
タマとの再会を待つ
タマとの再会
今にも目玉が飛び出しそうにびっくりして子猫を見つめるタマ
子猫を捕獲したのは子猫が生まれて3か月、さらにそれから3か月半が経ち、子猫は見違えるように大きくなった。人間でいうと2~3歳で親と別れて5~6歳で再会するようなものではないだろうか。子供の成長は著しく早いので、人間でも自分の子供かどうかはわからないかもしれない。ましてや猫である。いや、猫の方が直感的な能力は高いかも知れない。タマは非常に臆病で、他の猫に対してはシャーシャー威嚇するのであるが、お互い見つめ合ったまま静かにしていたところをみると、3か月前の親子の絆が蘇ってきたのかも知れない。明日は朝から晴天で温かいようなので、いよいよ子猫を野に放す予定でいる。
子猫がケージの外に出る
11月6日、いつものように早朝5時過ぎ、ママ猫タマが我が家にやってきた。昨日と同様、タマと子猫は見つめ合っていた。しばらくすると、ララがケージから出たがったので、チャンスと思ってケージの扉を開けたところ、ララは恐る恐る外に出て行った。甘えっ子のリリは、何とも頼りない鳴き声をあげながらララの後を追うように出て行った。すると、タマは警戒したのか、朝食もそぞろにどこかへ逃げ去ってしまった。子猫は非常に臆病なので初対面の猫に近づくはずはないと思う。どこかでいっしょになってくれればと願うばかりだ。そして、タマと一緒に我が家に通ってもらいたい。
その日は、タマが子猫を連れてくるのを一日中窓の外を見ながら待っていた。しかし、夜になっても、子猫どころかタマもやってこなかった。いつもタマは早朝と午後3時頃は我が家に通ってくるのに、この日に限って来なかったところを見ると、子猫との再会で気持ちが動揺しているのかもしれない。そうであれば、いずれ子猫を連れてくるはずだ。再会をさせるためにケージに閉じ込めたり部屋を移動したりしために緊張したのだろう、子猫はここ2~3日ほとんど食べていないのだ。いつまでも心配が絶えない。
子猫が帰ってくる
11月11日、子猫を家の外に放してから5日が経っていた。毎日近所を捜し回った。昼間はおそらく人を恐れてどこかに身を潜めているのだろう。子猫どころか猫一匹も見つけるもとができない。ちょっとした音でも子猫の声に聞こえて、外に出てみるが影も見えない。夢の中にも子猫が出てきて夜中に何度も目が覚めてしまう。これまで苦労しながらやってきたことが、すべて裏目に出てしまったことを悔やむ。子猫を放してから長い時間が経過していることや外気が冷え込んできていることから、衰弱して命の危険にさらされているだろうと半ばあきらめていた。
夕方になって、いつものように濡れ縁でタマに夕飯を与え2階の自室に戻った。しばらく経って、外で子猫の鳴き声が聞こえたので2階から駆け下りて外を見ると、濡れ縁に耳カットした子猫がいた。リリだ。リリは私に気付くと瞬時にどこかへ逃げていった。一瞬の出来事だった。逞しく生きていてくれたのだ。ララは確認していないが、おそらくいっしょに生きているに違いない。目の前に明るい光が差したように、ここ数日の鬱々した気持ちが一気に晴れた。
子猫はお腹を空かしているに違いない。濡れ縁に餌を置いておけば自由に食べてくれるだろうがそれはできない。野良猫が多く、最後は強い猫のみが残り弱い猫は寄り付かなくなるのだ。
11月13日の薄暗くなった夕方、タマに餌を与えてから30分程経って外を見るとタマに与えたエサの臭いを嗅ぎつけたのか、地面をクンクン嗅いでいる子猫がいた。お腹が空いていたのだろう。わずか10秒程だったが私の顔を凝視して逃げようともしない。ララに間違いなかった。おそらく、私を覚えていたに違いない。しかし、私に気付くとどこかへ逃げてしまった。大きな声で「ララ、ララ、・・・・」と叫ぶと、隣の庭先からいつものか細いララの鳴き声が聞こえた。よく見ると物陰から私の方をじっと見ている。何事かと近所の住民まで、ベランダからこちらを覗いている。ララは近所の住民の方が気になって落ち着かない様子だ。ララはお腹を空かしているに違いない。濡れ縁に食べ物を置いて、こちらから食べる様子が見えないように障子を閉めておいたところ、しばらくしてすべて食べ尽くしてどこかえ消えていった。しばらく時間がかかるかも知れないが、このようなことを繰り返せばララも餌を食べるために我が家に通うようになるだろう。
1週間ぶりに帰ってきたララ、なおいっそう警戒心が強くなっている
子猫を外に逃がしてから、今日で7日目である。それまで何を食べていたのか。心配ばかりしていたがホッとした。実に逞しいものだと感心する。久しぶりに今夜はよく眠れそうだ。
我が子を追い払うタマ
11月14日夕方、餌を食べているママ猫のタマの様子が急におかしくなった。なにかを感じているみたいなのだ。しばらくすると遠くの物陰にララがいた。どうして気付いたのだろう。野生の中で研ぎ澄まされた彼らの鋭い感覚には驚かされる。昼間に野良猫に出会わないのも不思議ではない。彼らは人の気配を感じると物陰に隠れてひっそりしているのだろう。彼らには人の動きが手にとるようにわかっているのかも知れない。逆に、人にとっても怖いといえば怖い。
私は、タマがララを温かく迎え入れる微笑ましい光景ばかりをイメージしていた。ところが、あろうことか、タマはララのところに駆け寄ると牙をむき出して激しく威嚇し、ついにギャーギャー叫びながら追い払ってしまったのだ。つい3か月前まで、子猫達はタマに体を摺り寄せたり、地面に腹ばいになってオッパイをもらっていたのに、親子の絆が完全に途切れてしまったことに愕然とした。子猫を忘れてしまったのか、または単に薄情なのかは分からない。もっとも心配していたことが現実となってしまったのだ。タマは子猫を捕獲してからほぼ1カ月の間、鳴き喚きながら子猫を捜し回っていたが、ある日から子猫の鳴き声に反応しなくなっていた。おそらくその時点で親子の絆は切れていたのだろう。これまで思い描いていたバラ色のシナリオが、完全にひっくり返ってしまった。
もう一つ心配なことが発生した。先日最初に裏庭で発見した子猫はリリだと思っていたが、ララであった可能性が高い。リリは行方不明なのだ。どこかで生き抜いていてくれればと思う。
その日の、薄暗くなった夕暮れになって、近くで子猫の鳴き声が聞こえた。「ララ、ララ、・・・・」と呼ぶと、なおいっそう大きな鳴き声で泣き叫ぶ。濡れ縁に好物のキチンスープ、牛乳等を置くと、臭いを嗅ぎつけたのだろう、恐る恐る近づいて貪るように食べ尽くした。ララは以前にも増して神経質に周囲を警戒していた。これからタマとララが出会うとまずいことになる。
帰ってこないリリ
11月24日、窓の外を見ると朝からボタ雪が舞っている。54年振りという。明らかに気候がおかしくなっている。昨日は福島県沖でマグニチュウド7.4の大きな地震もあった。昨今の天変地異が気になる。きょうは雪が降るとの予報を聞いていたので、事前にペット用の電気カーペットを購入し、濡れ縁の下に設置したねぐら(自作の箱)に取り付けた。電気カーペット付小屋、三食昼寝付の恵まれた野良猫は稀ではないだろうか。
ララ(子猫)はタマの来る時間帯をよく心得ており、この時間帯はどこかえ避難している。そして、タマがいなくなったころを見計らってねぐらに帰ってくる。昨晩から外は相当に冷え込んでいるが、ララは電気カーペットを敷いた温かいねぐらで気持ちよく休んだようである。最近になって居間から「ララ、ララ・・・」と呼ぶと、ねぐらにいるときは「ニャーニャー」と、か細い鳴き声で応えてくれるようになった。一方、タマは餌を食べるといつもどこかえ消えていく。おそらく私に出会う以前から住んでいる慣れ親しんだねぐらがあるのだろう。いつかこの親子が仲良くなってくれることを祈っている。
11月28日の八王子市、11月としては54年振りの積雪という
電気カーペットを取り付けた猫小屋の裏面
猫小屋の入口
タマとララについては、これから地域猫としてできる限りの世話をするつもりでいる。一方、頼りないない鳴き声をあげながらララの後をついて出て行ったリリは、11月6日に野に放してから3週間が過ぎたいまでも姿を見せていない。ララとどこかではぐれたのだろう。我が家を出ていったときの、あの不安げな頼りない鳴き声がいつまでも耳から離れない。かわいそうなことをしたと後悔している。しかし、どこかで逞しく生き抜いており、いつか帰ってきてくれるものと信じている。
おわりに
経験していない、または知らないということは強い。野良猫と付き合ったこの10カ月は行き当たりばったりの苦労の連続だった。七転び八置きしながらも苦難を乗り越えていったあの世間知らずの二十歳前後の自分を思い出す。しかし、やり直しが効かない還暦を過ぎたこれからは、あまり無謀なことをやるべきではない。物事は慎重に進めるに越したことはない、と反省しきりである。
最後に野良猫保護にあたり、私なりに得た教訓を重要と考える順に記しておきたい。子猫の性格や、捕獲した子猫の数等の条件により状況が異なる可能性もあるので、一般論として論ずることはできないかも知れないことを断っておく。
(1) 家族の協力
野良猫と共同生活をするにあたり家族の協力は必要不可欠である。しかし、猫嫌いや猫アレルギーの家族がいると協力を得るのは難しく、家庭不和の原因に成り兼ねない。保護する前に十分話し合っておくことが望ましい。私の場合はこの点でも反省するところがあった。
(2) 物心つくまで(私のケースの場合は生後3か月)に、人の温もりふれることなく育った野良猫はなかなか馴れてくれない。
私の場合は捕獲から3か月経っても見通しが立たなかった。一説には、人の場合は、3歳までに基本的な性格(先天的な気質から作られる行動や意欲の傾向)が形成されるという。根拠はないが、人と猫の寿命比から計算すると、猫の場合は生まれてから3か月前後までに基本的な性格が形成されるというのもあり得ることかもしれない。
(3) 爪とぎや遊びによる室内の破壊行為は深刻
子猫は、特に壁紙や畳などの凹凸のあるやわらかいものによる爪とぎを好むようである。また、木登りよろしくカーテンをよじ登り爪痕をつけてしまう。といって、狭い部屋にいつまでも閉じ込めておくわけにいかない。
(4) 心理的なストレス
子猫の世話に夢中になるほど、いつまで経っても思い通りにいかないと知らず知らずのうちに相当のストレスが溜まってくる。いつまでも威嚇されたり鋭い爪で引っ掻かれたりすると、理屈ではいけないことだとわかってはいてもついつい感情的になってしまうことがある。人の痴呆患者の介護とは比較にならないかも知れないが、似たようなところがあるのではないかと想像する。
(5)家を留守にできない。
一般には動物用のホテルにあずけることも可能だろうが、子猫に触ることができない状況では、キャリアに入れて移動することもできない。強引に捕まえて連れていっては、ますます人を恐れてしまうだろう。
(5) 医療費など出費が大きい。
これまで親猫2匹、子猫2匹の去勢、避妊その他の医療費、ケージ代、食費代など、この3か月の出費は総額10万円を超える。年金暮らしの庶民には痛い。
野良猫を家猫として飼いならすには相当の覚悟がいる。ただ情に任せて野良猫と付き合っていると、やがて自らを苦しめてしまうことに成り兼ねない。しっかりした予備知識を持って、程よい距離を保ちながら野良猫と付き合うことが大切ではないだろうか。
具体的には、人馴れしていない野良猫を捕獲したら、去勢/避妊手術をしてやった後すぐに野に戻す。そして、地域猫として温かく見守っていく。さらに、このために自治体も十分なサポートをしていく。これが、野良猫にとっても人にとっても負担が軽く、ベストなやり方ではないかと思う。実はこのような取り組みは、多くの団体や自治体により既に実行されていることを後で知った。広報などでもっと広く知ってもらった方がよいと思う。
子猫達にとっては人間中心の社会の中で、わけも分からず捕獲され、狭い檻に閉じ込められ、動物病院でお腹を切り裂かれ、めでたく野に戻ったかと思うとママ猫に追い散らされるなど、次から次へと降りかかってくる恐怖や絶望に振り回された4か月だっただろう。人のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に似たような障害を患っているとしても何ら不思議ではないだろう。人に馴れなかったのも当たり前だったのかも知れない。私の場合は、ゴテゴテの展開になってしまった。最悪は親子の絆を断ち切る結果になってしまったことだった。敢えてよかった点を挙げれば、子猫の避妊手術をしてやったことぐらいだろう。
いずれにしても、すべての問題は誰かが無責任に飼い猫を捨てたことに始まる。一度捨てると、子々孫々まで不幸の連鎖が続くことになる。無責任なペット遺棄は罪が重いと思う。
以上、子猫を捕獲する前に参考にしていただければ幸いである。とはいえ、情が絡むと理屈が後回しになるのは、何も人同志のはなしだけではない。「言うは易く行うは難し」とは、自分のこと。ああ、もうこりごりだ。
さいごのさいご
野良猫も人と同じように大地を自由に駆け回り思いっきり遊びたい
野良猫も人と同じように愛する仲間がいる、喧嘩もする
野良猫も人と同じように幸せに生きたい
野良猫も人と同じように死にたくない
などなど
野良猫も生き抜くための行動原理は人間と何ら変わらない。人と猫(広く魚類を含む他の動物も)は、悠久の生命進化の歴史の過程の中でその大部分の期間を、共通の祖先をルーツとして進化を遂げてきた。体の構造だけでなく心の働きも、基本的なところは人と類似しているというのは当然なことだと思う。この地球上では人間だけが特別な存在ではないのだ。
子供達には、野良猫に限らず、すべての動物に対する思いやりや共感力を豊かに育んでもらいたい。それは高度に知能が発達した人間しかでないことであり、人間であることの証でもある。それがひいては人に対しても、思いやりのあるやさしい社会に繋がっていくものと思う。
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