身近なカラス
どこへ出かけても目につく動物がカラスである。街中では、人に紛れてノソノソといっしょに歩き回っているヤツまでいる。しかし、ほとんどの人は、そのようなカラスに関心を示さない。しかし、彼らをじっくり観察していると愉快で、好奇心を掻き立ててくれる。
カラスに初めて出会ったのは、私が小学生のときだった。ある日、自宅の前に置かれた段ボールの中を覗くと、白い産毛に包まれたかわいいカラスの雛が一羽入っていた。友達が山から誘拐してきて私にプレゼントしたのである。当時、鳥獣保護法など知る由もなかった。嬉しくて、それから宿題などそっちのけでカラスの世話をするのが日課になった。小遣いはなかったので、食べ物はすべて自然の中から調達しなければならない。学校から帰ると、せっせと山や川に出かけて餌を調達した。私のカラス(名前はクロ)との出会いはこうして始まった。しかし、いつも放し飼いにしていたため、2年程経つとどこかへ飛んで行き、帰って来なくなってしまった。人馴れしていたので、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。かわいそうなことをしたと思う。一番の罪は親元から赤ちゃんを誘拐したこと。また、野生で生きて行く術も教えてあげることができなかった。さらに、今から思うに、餌が偏り、十分な栄養を与えることができていなかったと思う。野生のカラスに比べるとやや小さかった。厳しい自然の中で生きていくためには、カラスの親に育ててもらうのが一番である。しかし、小学生にそのような理屈が分かるはずもない。
それから半世紀が過ぎ、東京競馬場で再びカラス(クロとカコ)と出会うことになる。子供の頃育てたカラスについては、この年に至るまで、かわいそうなことをしてしまったという償いの気持ちがどこかにあった。あの遠い子供の頃育てたクロが、目の前に現れたような錯覚に陥った。そして、5年半という長い年月に渡る触れ合いが続くことになる。雨や雪の日も風の日も通った。しかし、楽しい時ばかりではなく、クロとカコが競馬場に現れないときは、事故にあったのではないか、人に捕獲されたのではないか等、心配も多かった。そして、このカラスとの別れはある日突然やってきた。競馬場に現れなくなったのである。愛しいペットを失ったようで悲しかった。なぜいなくなったのか理由はわからない。カラスを通じて、厳しい野生の世界を思い知らされた5年半だった(野生のカラス_クロとカコ)。また、野生動物の世界に身をおくと、人間社会の身勝手さがよく見えてくる。
ありし日のクロ(手前)とカコ(奥) 東京競馬場にて(2012/6)
競馬場のベランダにて(2016/12)
クロちゃん、おはよう! 元気?
いつものオジサンだ。 おはよう!
カラスは黒いマントを羽織ったような羽とその賢さ故に、人に忌み嫌われる。しかし、親しくなるとカラスほど愛らしい鳥は他にいない。カラスの人や物を認識する能力や記憶力には驚くべきものがある。東京競馬場のクロは、多数の観客の中を歩いている私をみつけては、どこからともなく飛んできた。また、カラスは遊びやイタズラが大好きである。彼らにとっては、イタズラも遊びのうちなのだろう。夫婦の情愛は深く、一生涯連れ添うという。このように高い知能を持った彼らの行動を観察していると、愉快でたまらない。また、カラスに限らず、ときに彼らは現代の科学では説明がつかないような不思議な能力や行動を見せるときがある。知的好機心をも掻き立ててくれるのが動物である。
カラスに関する文献は多い。その中で紹介したいのが、松原始さんが書いた“カラスの教科書”(発行所:雷鳥社)である。学術的に価値があるだけでなく、カラスに対する愛情たっぷりのホロリとするような内容もたくさん書かれている。何より、鋭い観察力で表現力豊かに面白おかしく書かれているところがよい。知・情・意のバランスのとれたカラスに関する名著といってよいと思う。ところで、松原さんは、京都大学の理学部まで進み、カラスの研究一筋に博士号まで取った奇人?である。大学院まで行って悠長にカラスの研究をするなど、あくせく生きることに精一杯だった私には考えも及ばない。ちなみに、松原さんのお母さんの父親(つまりお爺さんってこと)は、孤高の天才数学者、岡潔である。この人もかなりの奇人だったというから血は争えない。同じカラス好きに、このような優秀な人がいるというのは、何かと白い目で見られがちなカラス好きにとって心強い。
おわり
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