野生のカラス_クロとカコ(出会いから別れまでの5年半の記録)
(この記事はこれまで2回に分けて連載したものをまとめ、さらに”別れ”の部分を追加したものです。)
はじめに
2011年の春、娘が定年を迎えた私を、とある競技場に誘ってくれた。それからほぼ毎週のように、サイクリングの休憩場所としてその競技場を利用した。その年の秋、広場で昼食をとっていると近くの大木の枝にとまっていたカラスが、こちらを見ながらカアカア鳴いている。動物好きの私は、昼食の端きれを分け与えるようになってしまった。このようなことを3、4回繰り返すと、なんとそのカラスは大勢の観客の中から明らかに私を認識し、頭上を飛びながらついてくるようになったのである。信じられないかもしれないが、彼らは人間と同様のあるいはそれ以上の高度な認識力を持っている。それから、今日まで4年半のつきあいが続いている。つき合えばつき合うほど興味の尽きないのがカラスである。娘が誘ってくれた遊びはそっちのけで、カラスと遊ぶのが趣味になってしまった。おそらく日本(世界?)中探してもカラスと遊ぶために、競技場に毎週通うのは私だけだろう。
カラスの行動や知性に関してはいろいろと研究されているようで、カラスの生態や知能に関する書物も多いようだ。しかし、これから述べるはなしはそのような学術的なものではない。これまで約4年半に及ぶ野生のカラス(クロとカコ)との熱愛を描いたものである。
私はカラスの専門家ではないので、カラスの生態や知能については詳しくない。しかし、私にとって彼らが賢いかどうかはどうでもよいことなのだ。彼らとの直接的な心のふれあいが楽しくてたまらない。私はカラスの人の心を引き付けてやまない魅力こそ、彼らの知性の高さを証明するものではないかと思う。もっとも私の知性がカラス並みなのかも知れないが。
東京都では、カラスによる被害の苦情が急増してきたため、石原都政のもと2001年度から生ゴミ対策やトラップによる捕獲などのカラス対策が積極的に進められてきた。そのような中で、これから述べるはなしに対し、どれほどの共感が得られるかわからない。むしろ批判的な意見が多いことを承知している。
私の体験を多くの人と共有することによりカラスの魅力を知ってもらいたい。そしてカラスだけでなく、すべての動物のいのちを大切にする心をもっと育んでもらいたい。これらがこの体験記を書こうとしたきっかけである。
クロとカコの縄張り
初対面
とある競技場の正門をくぐると左手にケヤキやヒマラヤ杉の大木が林立している。その大木の下にはたくさんのベンチが置かれ憩いの場所となっており、休日になると多くの観客で賑わう。この競技場に通うようになってから数か月が過ぎた2011年秋の日曜日、ベンチで昼食をとっていると、ケヤキの枝にとまってこちらを覗き込込むようにカアカア鳴いているカラスが目にとまった。このカラスを、かつて少年時代に飼っていたカラスと同じクロ(正確にはクロ二世)と名付けた。昼食をとっている観客はいくらでもいるのに、私のところに飛んできたのは、私がカラス好きなことを敏感に感じたからかも知れない。
初対面のクロ
「あのおじさん、こちらに関心がありそうだな。ごちそうくれるかも知れないぞ。」
クロとの初対面である。餌付けはいけないとは心得ていながら、ついついパンをつまんで放り投げると、しばらくして舞い降りてきた。
何か怪しいなあ(クロ)
「この食べ物は大丈夫かなあ・・・」
といった感じで、放り投げた食べ物を、首をかしげてしげしげと見つめている。しばらくして口にくわえたかと思うと、すぐさま吐き出してしまった。危険がないことを確認すると、嘴にくわえて飛び去って行った。このように初めて与える食べ物に対しては非常に慎重である。
おそらくクロはこの初対面で私を覚えたのかもしれない。次週の日曜日から、大勢の観客がいるにも関わらず、ベンチに座るやいなやどこからともなく飛んでくるようになった。やがて、クロにつれがいることがわかった。このつれのカラスはよく鳴くのと直感的に女の子だと感じたので、カーコにしようとも考えたが呼びにくいのでカコと名付けた。カコはいつもクロの後をついて飛んでいるようだ。ある日、パンをちぎって投げるといつものようにクロが飛んできた。後からカコも飛んでくるが、クロに横取りされて食べ物はもうない。すると、カコがクロの前で、雛が親に食べ物をねだるように嘴を開けて羽をバタつかせると、クロは口移しにカコにパン与えるではないか。なんと仲のいいこと。その後、数か月経ってもこの2羽のみでいっしょにいたことから、このカコがクロの子供でないことは間違いないようだ。このようにカラスは一夫一妻で仲良く暮らすという。毎週末彼らと付き合っているうちに、寝ても覚めても、彼らのことが気になる親子のような関係が出来上がってしまった。
クロとカコは学名ハシブトガラスである。ちなみに、私が少年時代に飼っていたクロはハシボソガラスであった。ハシブトガラスは住宅地に多く、私がサイクリングコースにしている多摩川の河川敷ではほとんど見られない。住宅地から離れた河川敷で見られるのはほとんどハシボソガラスのようだ。ハシブトガラスとハシボソガラスはそれぞれ特徴があるがインターネットで検索すると詳しい情報が得られるので興味のある人はそちらを参照されたい。
ふれあいの場所変更
食べ物を投げると勢いよく舞い降りてきて食べるのであるが、周りのほとんどの観客は見て見ぬふりをしている。たまに苦笑いをしたり、信じられないとでもいうように顔をしかめている人もいる。私はふとわれに返り、自分のやっていることが恥ずかしくなった。そして、禁断の恋に陥った男女のように、できる限り他の観客に気付かれないように彼らと会うようにした。
クロとカコに出会ってから数か月後、広場を散策しているとどこからともなく飛んできて頭上を舞いながらついてくるようになった。どうやって私を認識しているのかわからない。多少服装を変えてもわかるみたいだ。私は競技場ではつば付き帽子をかぶっているのだが、ある日、わざと帽子を取って建物から広場に出てみたところ、クロとカコは「何かおかしいけどおじさんみたいだ」と感じているような素振りはみせたが、しばらくして気付いたのだろうか、木の枝から飛び出して私の頭上に飛んできた。恐るべき認識力である。彼らの知能の高さの一端を窺い知ることができる。彼らの認識力や記憶力からすれば、彼らにとって危険人物やそうでない人物の識別など朝飯前なのかもしれない。むしろ、日常、危険と隣り合わせの生活をしている彼らの感性は、人間以上に研ぎ澄まされているのではないか。
クロとカコが私の後をついてくるなど普通はありえないことなので、このことに周りが気付くはずがない。観客がいるところでは私は努めてクロとカコを無視し、彼らとの仲を気付かれないようにしている。
2012年の春、クロと出会ってから半年以上が経ったある日曜日、周りに気付かれないように人気の少ない広場の端でクロに食べ物を与えていると、身分証を身に着けたスーツ姿の生真面目そうな中年男性が、手錠ならぬ手帳のようなものを片手に私のところに走ってきた。まずい予感が頭をよぎった。
「カラスに餌を与えないで下さい。子供たちに危害を加えると困ります。」
毎日餌付けをするのならともかく、日曜日のごく限られた時間だけのことである。
「そうお堅いこと言わんでもいいじゃないの。カラスはお腹が空いているからいたずらするのだ。それに餌付けするとなぜ子供に危害を加えるのかわからんなあ。」
などと反論したかったのだが、その場は大人しく黙って引き下がった。これ以上、当局の目に留まってはまずいと思った私は、クロが縄張りにしている広場を見下ろす高い建物のベランダにふれあいの場所を変えることにした。ここは北向きで日当たりが悪く、競技場のイベントも目につかないので観客が少ない。
巧みな飛行
競技場の職員に注意された日の翌週から広場や樹木を一望できるベランダに立った。しかし、クロとカコがどこにいるかは全くわからない。しばらくすると、クロとカコがどこからともなく飛んできた。認識力はさることながら、視力も大したものだと思う。こちらは、視力は悪いし、例え視力がよかったとしても、カラスの個体を識別をすることなど到底できない。彼らの能力には驚くばかりだ。
おそらくクロとカコは、休日は木陰からずっと私を探しているのだろう。そして私を見つけると、全身の力を振り絞るように羽ばたきながら飛んでくる。子供が喜びながら、久しぶりの父親の元に駆け寄ってくるようにも見える。歯を食いしばって「ハアハア」と息をしなが ら一生懸命飛んでいるのが伝わってくる(カラスには歯はないが)。その様子が何か滑稽だ。
久しぶり、元気?問いかけに耳を傾けるクロ
「おお、クロか、久しぶり、元気?」
いつもこうして声をかける。すると、私の呼びかけに同調するように私を見つめたり、まぶたをパチクリさせたり、首を傾げたりする。たいへんデリケートな素振りなので、長いこと付き合っていないとわからないかも知れない。ペットショップのオーム等で同様の素振りが見られることがあるが、他の野鳥では見たことがない。
「うん元気だよ、おじさんも元気?」
と応えてくれているようにも思えるが、やっぱり、
「お腹空いたよ~ 何かちょうだい」
かも知れない。
それから数か月後のある日曜日、ベランダから150メートル程離れたところに立っている、高さ20メートルはあろうかと思われるヒマラヤ杉のてっぺんにクロがとまって周りを見渡していた。威風堂々として実に逞しく誇らしく見える。私が手招きすると一直線に舞い降りてきた。一直線といってもベランダまで勢いよく飛んできては、ベランダの壁に激突してしまう。クロはこのようなドジではない。また、ベランダの手前で羽をバタつかせて急ブレーキをかけたのでは、体に負担がかかるとともにエネルギーを浪費してしまう。急ブレーキを多用すると車の燃費が低下するのと同じである。さてクロはどうやってベランダに舞い降りたか。まず、ベランダよりも低い高度まで急降下し、ベランダの手前でその勢いを上昇力に変え、上昇のスピードが低下したところでベランダにフワッと着地したのだ。見事というしかない。また風が強いと着地がうまくいかないので、ベランダよりも高いところで旋回しながら、風が弱くなったところを見計らってから舞い降りてくる。普段は何気なく飛んでいるようでも、彼らは自然の力を巧みに利用しながら、最小限のエネルギーで自在に飛行する技を自然に身につけているのだ。しかし、強い風はたいへん苦手なようだ。
個性的なクロとカコ
カコはベランダに1羽で飛んでくることはない。必ずクロの後をついてくる。カコは、ベランダの縁に食べ物を置くと、しばらく上下左右をキョロキョロと用心深く見回して安全を確認すると、いったんジャンプしてから降下しながらすばやく食べ物を銜えて飛び去っていく。いつも食べ物を採るとき危険な目に会っているのだろう。たまに、突然、頭上を見つめて身構えることがある。何か異常な気配でも感じているのだろうか。カコはいつも緊張しているからだろう、首筋を長くしながらいつもキョロキョロして落ち着きがない。そのせいか、体もクロに比べて幾分細く見える。一方、クロはいつもリラックスした感じで堂々としていて人なつこい。カコに比べて体形もふっくらして見える。食べ物を差し出しても、ノコノコ近寄ってきてその場で食べることが多い。
彼らは普段は町に出て小動物を捕えたり生ごみを漁ったりして、人に追い払われる毎日だろうから、カコが神経質な挙動を見せるのも当然である。むしろ、のんびり屋のクロの方が心配だ。大らかなクロと用心深いカコ、2羽はお似合いのカップルのように見える。
貫禄のクロ(手前)と用心深いカコ(奥)
このようなクロでも、私の手の届くところまで近づくことはない。野生で育ったカラスとの付き合いの限界を感じる。今から四半世紀ほど前、多摩動物公園の広場で昼食をとっていると、近くの小さな木にカラスがとまったので、その木の枝の間に手を差し入れたところ私の腕に乗ってきたことがあった。初対面でこのように人懐こいカラスがいる一方で、クロのように何度も会って信頼関係を築いているにも関わらず、常に一定の距離を保っているカラスもいる。この違いはどこからくるのかわからない。単なる性格の違いかもしれない。
カメラを向けたらそっぽを向いてしまった(クロ)
“なにかあやしいなあ”といった感じで振り向いたクロ
カコはいつもクロの後を付いていたり、たまにクロに食べ物をねだっているところを見ると、クロがオスでカコがメスかもしれないが正確なところはよくわからない。ところでカラスはオス、メスをどうやって判別しているのだろう。人間のようにオッパイがあるわけでもない。人が男女を直感的に識別できるように、彼らもそのような能力をもっていると考えるのが自然かもしれない。また、カラスは人間に見えない紫外線の領域まで知覚できるというから、人間とはかなり異なった見え方をしているはずである。カラスの目にはオスは美しく輝いて見えるのかも知れない。そういえば、ベランダに飛んできたクロの背中が、日差しの当たり具合で虹色に美しく輝いて見えたことがあった。鳥類はオスの方が美しいので、やはりクロがオスに違いない。
私がクロとカコを見分ける方法は、以上述べたような所作の違いだけである。よく観察しないと区別するのが難しい。
サイクリング
毎週日曜日は早朝、「遊びに行くから」と妻に告げて競技場まで一直線。妻に「カラスに会いに行く」などとは恥ずかしくて言えない。30年以上も一緒にいるから私が浮気をするような男でないことはわかってくれていると思う。
多摩川サイクリングロードと京王線
自転車で八王子の自宅を出て、国道20号線から日野バイパスを経由して40分もペダルをこぐと多摩川が見えてくる。途中スーパーで昼食とクロ達への土産物を買い込んだ後、多摩川にかかっている大きな橋を降り、サイクリングロードを都心方面に向かって自転車を走らせると、四季折々に川沿いの木々や草木の匂いが漂ってきて実にすがすがしい。カラスはもとより、ヨシキリやすずめなどの野鳥のさえずり、野球やサッカーの練習をしている元気な子供たちの声、そして多摩川の橋を渡る列車の音など、ここは人と自然が混然一体となった楽園のようである。
府中市郷土の森公園前(2016年4月3日)
サイクリングロードを走っていると、体に吹き付けるさわやかな風が、それまで蓄積したストレスを吹き飛ばし、体中に英気が漲ってくるようだ。”早起きは三文の徳”というが”サイクリングは三文の徳”でもある。やがて、自宅から1時間半程すると競技場にたどり着く。片道約20kmのサイクリングである。年を取ったせいか、夏の盛りなどつらくて疲れて体が諤々することもあるが、さわやかな清涼感を一度味わうとなかなか止められない。
府中市郷土の森公園前(2016年4月3日)
多摩川の河川敷で見られるカラスは、ほとんどがハシボソガラスである。私が確認しているところでは、ハシボソガラスはハシブトガラスに比べて嘴が細いことの他、鳴き声が「ガア ガア」とやや濁っていること、首か胸のあたりを膨らまして、全身を上下に大きく揺らしながら不格好に鳴くのが大きな特徴である。
ハシボソガラスは通りすがりに、私に呼びかけるように必死に鳴き始めることがよくある。通りすがりのタイミングと鳴きはじめるタイミングがよく一致しているところをみると、単なる偶然ではないような気がしてならない。
「お腹空いているんだよ~ 何かくれ~」
などと何かを訴えているような気がしてならない。カラスはこのように人の注意を惹く行動をよくとることが多い。カラスのなにげなく人の注意を惹く行動も、カラスは賢い、薄気味悪いといった特別な印象につながっているのだろう。
やがて競技場の門をくぐると、待ちに待った大好きなクロとカコに出会えるのだ。なにものにも変えられない幸せなひとときである。サイクリングに最高の出会い、俺はなんという幸せな男だ。この生活のリズムが壊れてしまったら、心にポッカリと穴が開いてしまうだろう。
競技場で半日遊んで帰宅の途につくのは午後4時過ぎになる。帰宅の時間はちょうど夕日が空を赤く染める頃である。西に向かって自転車を走らせると、はるか彼方に逆光に照らされた丹沢山系や富士山がシルエットになって浮かぶ。多摩川サイクリングロードから日野バイパスに入ってしばらく走った坂道で一休みする。ここは、たいへん眺めの良いところで、冬至の頃になるとダイヤモンド富士を撮影するカメラマンをよく見かける。空を見上げると、夕日に赤く染まった空を背景に、立川の市街方面から多摩動物公園の方向に向かって、点になって悠々と飛んでいくカラスのつがいをみることが多い。たまに1羽で飛んでいるカラスも見かける。日中、立川市街あるいはその周辺で食事をして、多摩丘陵の森の寝ぐらに帰っていくところだろう。彼らは食べ物をいっぱい食べられたのだろうか。皆無事に帰れたのだろうか。子ガラスが待っているのだろうか。カラスが寝ぐらに帰って行く光景を見ていると、赤く染まった夕日の空が物悲しい風情をかもしだしてくる。
秋は夕暮れ。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、
烏の寝どころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず
(枕草子)
自然のかもしだす風情は今も昔も変わらないようである。野口雨情も同じような情景を思い描きながらあの”七つの子”を作詞したのだろうか。
カラスなぜ鳴くの
山にいても生きちゃゆけない
町に出ると追われる
お腹が空いてるからよ
カラスなぜ鳴くの
森にはカラスのトラップ
町に出ると怪しい人影
生きていけないからよ
“歌は世につれ、世は歌につれ”
人の生活の中に溶け込んでいるカラス
クロは鳴き声をほとんど出さないがカコはよく鳴く。たまに木陰で「カッ カッ カッ」と怒っているかのように鳴いていることがある。ひょっとすると、カコはかなりヒステリックな性格なのかも知れない。また「カア- カア- カア-」と甘えるようにゆったりと鳴くこともある。同じ「カア」でも鳴き方によりさまざまな意味があるようだ。ことばを単語の組み合わせとしてコミュニケーションをとる人間と比べて、鳴き声による感情表現が、コミュニケーションの大きな役割を果たしているのだろう。いずれ、彼らの日常の行動をモニターできるような小型で軽量の装置が開発されれば、鳴き声の意味を詳細に理解できる日がくるかもしれない。彼らと自由にコミュニケーションできたらどんなにすばらしいだろう。
ある日、ベランダに飛んできたカコは、「カア カア カア」と広い競技場に轟かんばかりの大きな声で鳴きだした。
「もっと食べ物をくれー」
と叫んでいるようにも聞こえる。多摩川の河川敷でよく聞くハシボソガラスのやや濁った鳴き声に比べると、澄み切った鳴き声で、耳の奥深く脳天まで響く。まるで高性能の拡声器のようだ。これぞ野生の証明だ。私は他の観客や競技場の職員に気づかれてはいけないと思い、すばやく物陰に隠れた。何かコソコソしているようで情けない。嫌われ者のカラスに寄り添っているのだから仕方ない。しかし観客どころか、競技場の職員の中にもこちらを振り向く者はほとんどいない。冷静に考えるとカラスの鳴き声は我々の日常生活に溶け込んでおり、別段気に留めるものでもないのだ。むしろカラスの鳴き声は、無意識に我々の日常生活に潤いを与えているのかもしれない。
今から30年程昔のことだった。新宿駅西口の多くの通行人が行き交う通路で、路上生活者ではないかと思われるバサバサ髪に汚れた服装をした男性が股を開いて座り込み、膝の上に両腕を載せてうなだれていた。するとそのカラスは男性の股の間に入って、顔を覗き込んでいるではないか。
「この汚いおじさん、苦しそうだな。どうしたんだろう」
私はこの珍しい光景に驚き、立ち止まってしばらく見ていた。野生のカラスが人の手が届くところまで近づくのは大変危険な行為に違いない。しかし、そのカラスは男性が危険でないことを察知していたのだろう。その男性の様子を窺うために覗き込んだとすると、彼らは単に人の顔を認識するだけでなく、表情から相手の心情を読み取る高度な能力を持っていることになる。クロとカコと長い付き合いをしていると、それもあながち間違いではないような気もする。しかし、このようなたいへん珍しい光景にも関わらず、他にその様子を見ている通行人はなく、何事もなかったように急ぎ早にその場を通り過ぎて行った。カラスなんてどこにもいるし、嫌われ者だから見て見ぬ振りをしていたのかも知れない。同様にこの競技場でも、クロやカコの行動に関心のある観客はほとんどいないと思われる。私はあの競技場の職員に注意された罪の意識で自意識過剰になっていた。
大イベントの開催
春の毎週末になると、競技場では日本中のファンが注目する大イベントが開催される。たまに十数万人の観客が押し寄せるのだ。2013年の春、一大イベントが開催されるある日曜日の朝、正門は多くの観客でごった返していた。私もいつものように門をくぐった。すると待ち合わせていたかのように、クロが私の目の前の観客がまだらになった隙間に舞い降りてきたのである。こんなに多くの観客の中でどうやって探し当てたのか。人間でも難しいと思うのに。
「おじさん、ずっとずっと待ってたんだよ」
必死で舞い降りてきたところをみると、相当お腹を空かしていたのではないかと思う。もちろん他の観客は、クロが私をめがけて飛んできたことに気付くはずはない。私は知らん振りをしてその場を通り過ぎた。しばらくすると、クロは例のベランダの方に先回りして私を待っていた。カコも後を追うようについてきた。普段は人気がないベランダでも、この競技場で大きなイベントが開催される日は、室内から溢れた観客が押し寄せる。しかし、ほとんどの観客はスポーツ新聞やスマホに夢中になっているので、カラスの気配など気付くはずはない。それでも、普段の休日と比べるとかなり気を遣う。クロたちにとっても他の観客は怖いに違いない。他の観客が視線に入ると逃げていく。競技場には悪いがイベントよ、早く終ってくれ~。
カラスの足蹴り
春のイベントが終わって、競技場が静かになってきた2014年の夏のある日曜日、いつものように自転車に乗って競技場に向かった。道中、カアカアとカラスが鳴いているので振り返って見ていると、道路の上を横断している電線にカラスがとまって私を威嚇するように睨んでいた。
「子供に手を出すとただじゃおかないぞ」
しばらくしてカラスに背を向けながら自転車を走らせると、後方から何やらバサバサと、それまで経験したことのないような何ものかが近づいてくる気配が感じられた。次の瞬間頭部後方を帽子の上からバシッと殴られてしまった。さすがにビックリして心臓が高鳴った。振り返ると、カラスが必死て飛び去って行くのが見えた。先ほどのカラスによる足蹴りである。カーちゃん強し。所詮、武器はタンパク質でできた小さなかわいいカラスの足だ。痛いという感じはなく、何かに瞬間的に押されたという感じだった。私が振り返ってカラスをじっと見ていたので、危険を感じたのだろう。追い打ちをかけるように、後ろから蹴らなくてもよさそうなものだが、おそらく、二度とお同じような行動をとらないように警告したのだと思う。生まれて初めての貴重な体験をありがとう、カラスちゃん。
この頃になるとカラスは子育てに夢中で気が立っているようだ。カラスを見ないで無関心を装うのが最もよい防御ではないだろうか。
足の折れたカラス
やがて暑い夏が過ぎ、立秋のころになると競技場の中はアブラゼミの鳴き声でざわめいてくる。クロたちはこのセミを食べてお腹いっぱいになるのだろう。ベランダに立ってもなかなか飛んでこないことが多い。
2014年の9月頃だったと思う。ベランダでしばらく待っていると、クロとカコの他にもう1羽のカラスがぎこちなく飛んで来た。羽をばたつかせながら甘えているところを見ると、クロとカコの間にできた子供に違いない。私にとっては孫のような存在だ。あの春の一大イベントが開催されている頃、ひそかに卵を温めていたのだろう。
微笑ましい光景が、次の瞬間痛ましい光景に変貌してしまった。雛の歩き方がおかしい。なな、なんと、雛の右足が内側に折れ曲がっているではないか。よくベランダまで飛んできたと思う。また、この不自由な足でよくもここまで成長したものだと思う。私にはどうすることもできない。雛はその年の暮れまでクロとカコから離れずにいた。雛が半年近くも親鳥といっしょにいるというのはめずらしいのではないだろうか。クロたちはかわいそうなわが子の面倒をいつまでも見ていたのであろう。その後あの子がどうなったのかわからない。しかし、大自然の中で自立して生きていくのは難しかったと思う。今でもあの日のことを思い出すと悲しく胸が締め付けられる思いがする。
ところで、クロ達に最初に出会ってから3年の間、クロの子供はこの足が折れた1羽のみである。専門家ではないのでよくわからないが、常識的には少ないのではないだろうか。子育ての頃になって、観客に危害を加えることを恐れた競技場の関係者が巣を撤去していることも考えられる。そういえば、競技場の中で巣を見たことがないのだ。もっともヒマラヤ杉の大木の中に巣を作っているとすると、見つけるのはなかなか難しいのだが。
獲物を捕らえたクロとカコ?
2014年11月の午前、いつものようにベランダに立ってクロとカコに会った私は、その日の午後、そのベランダとは反対の南側に面した観客席に座ってぼんやりしていた。その日は、多くの観客が広大な芝コースを挟んで遠くのターフビジョンを眺めていた。すると、北側の広場から2羽のカラスが飛んできて、前方100メートル程先の芝生の上で、何やら小鳥のような小動物を追いかけているではないか。この小動物は瀕死の怪我をしているようで、もう逃げる力はないようだった。やがて1羽のカラスがその小動物を啄み始めた。もう1羽は「ヤバイ」とでも言いたそうに、遠くから逃げ腰にその様子をじっと見ていた。まさに大舞台での出来事だった。多くの観客が、そのとんだハプニングに驚いたに違いない。カラスはたぶんクロとカコと思われる。あの小動物を食べていたのは大胆なクロ、その様子を遠くから恐る恐る眺めていたのは臆病者のカコだったに違いない。
「馬鹿モン!みんなの前でそんなことをやったら、ますます嫌われ者になってしまうじゃないか」
彼らに通じるわけがない。しかし、これが野生の現実である。クロとカコを責める理由は何もない。彼らは生きるために必死で戦っているのだ。いのちを無駄にしているわけではない。むしろ、弱肉強食の世界の頂点に立って、弱い動物たちのいのちを蔑ろにして飽食し、さらに残り物を漁っているカラスを害鳥として捕まえては殺処分するなど、やりたい放題やっているのは人間そのものなのだ。とはいえ、この事件でクロとカコはイメージを落としたに違いない。でも私はいつまでも彼らのよき理解者であり味方だ。
旅行
2015年3月最初の土曜日、家族4人で、長女が婚約した男性の実家がある新潟県糸魚川市まで行くことになった。上越新幹線から北陸本線に乗り換えて行ったが、トンネルの多いことに驚いた。ちょうど北陸新幹線開通1週間前ということで、どの駅も最後のと在来線特急「はくたか」を撮影しようと、多くのカメラマンが待ち構えていた。午後1時頃、糸魚川駅には娘の婚約者の弟が自家用車で迎えに来てくれた。駅を出るとすぐ日本海だ。日本海はこれが初めてである。穏やかな海が水平線の彼方まで広がっていた。太平洋では見たことがないような穏やかさだ。海岸を北東方向に走るとだんだんと古びた木造の建物が多くなり“田舎に来たなあ”という感じがする。どこか、私の故郷である鹿児島県の大隅半島の海岸沿いの風景にも似ている。15分ほど走ったところに実家があった。挨拶を済ませて帰路についたのは午後3時半頃だった。
その日の夜は越後湯沢のホテルに一泊することになっていた。ホテルに着くと妻と娘2人は温泉に浸っていたが、私は部屋に閉じこもって、じっと全身のかゆみに耐えていた。2014年末頃から全身に湿疹ができるようになったのである。医者によると典型的な加齢による乾燥肌が原因らしい。特に両腕の湿疹がひどかった。医者に薬を処方してもらうがこれがなかなか治らない。患部をよく観察することもなく、またこちらのはなしをよく聞くこともなく、ただただ一方的によくしゃべりまくる若い医者だった。患部をよく観察すること、そして患者のはなしに耳を傾けることは、医者にとって最も基本的な姿勢ではないだろうか。いったい大学で何を学んだというのか。このような事情で、高価な料金を払ってホテルに泊まった効果も半減したのであるが、家族とひとときを楽しく過ごすことができたことはよい思い出になった。なお、かゆみはその後半年以上も続いたが、良く効くからといって娘からもらった薬を患部に塗ったところ改善しつつある。医者はよく選ぶべし。さもなくば餌食にされる。
さて翌日は日曜日、やはりクロたちのことが気になりだした。私をクロとカコが私を待っている姿がまぶたに浮かぶ。越後湯沢を昼頃出発して東京駅に着いたのが午後2時半ごろだった。まだ競技場に行くかどうか迷っていたが、3時頃、新宿駅に到着する直前に行くことに決めた。
「帰りにちょっと○○競技場に寄ってくるから」
妻と娘は、
「へーエ」
となんとなく呆れている感じだ。この頃まだ家族にはカラスと付き合っていることをはっきりと伝えていなかった。理由を聞こうとしなかったところを見ると、おそらく薄々気ついていたと思うが。
私は新宿駅で家族と別れた。競技場の閉門は5時である。急がないといけない。途中、コンビニでクロ達のみやげを買って競技場に着いたのは4時頃だった。観客はまばらで、広場にはほとんど人気がなかった。ベランダに立つとクロ達が、ヒマラヤ杉の茂みの中からいつものようにすぐさま飛んできた。彼らは1日中私を待っていたということか。自分で首を絞めているようでつらいと感じることもある。
彼らは休日以外の日はどのような行動をしているのだろうか。いつか休日以外の日に出かけて彼らの行動を観察してみようと思う。研究心というよりは老婆心または親心である。
大あくび
2015年4月の日曜日、ベランダに飛んできたクロは、近くに来て座り込こんでしまった。そして、羽毛をふっくらと膨らまして白いまぶたをパチクリさせながらじっとこちらを見ていた。
「やっぱりいつものおじさんだ。食べ物をくれるかなあ。ここで待ってよう。」
リラックスしているようだ。
「早くちょうだい」
やがてクロは私の方を向いて大あくびをした。鳥のあくびを見るのはこれが生まれて初めてである。
「クロちゃん、ごめんごめん」
やましい気持ちを心の片隅に置きながら、家で焼いて持ってきたウインナーを与えると、クロはその場でついばみ始めた。食べ物は何回かに分け与えるのだが、その場で食べないときは、飛び去ってすぐさま戻ってくる。どこかに隠してくるのだろう。四方八方に飛んでいくので、食べ物を隠したところを忘れてしまわないかと思うが、彼らの記憶力からすれば何でもないことかもしれない。たまに観客の近くの落ち葉のところに持っていくことがある。
「おいおいやめろ。そこにと隠すと見つかってしまうぞ。」
とつぶやくのだが、クロは慎重だ。嘴に落ち葉を1枚、2枚、3枚・・とくわえて食べ物の上にかぶせ、たまに嘴で落ち葉をグイッグイッと押し込むなどして丁寧にカモフラージュする。しかし、そこは清掃員がよく掃除をするところなのだ。さすがに賢いクロもそこまでは読めてないらしい。
縄張り争い
2015年8月の日曜日の午前、いつものようにベランダに立っていてもクロとカコは飛んでこない。30分程したころ、空を見上げるとけたたましい鳴き声をあげながら4羽のカラスが交戦しているではないか。他のつがいがクロの縄張りに侵入してきたのである。敵を追撃しながら5階建てのビルの屋上まで急上昇したかと思うと、きりもみしながら絡み合って落下してくる。地上すれすれで再び急上昇していく。私はハラハラしながら戦いを見守っていた。クロとカコが追い払う領域、すなわち戦場が彼らの縄張りなのだろう。それから判断するとおよそ200メート四方がクロとカコの縄張りのようだ。日本が世界に誇るこの競技場の一等地でこれだけの広い縄張りを持っているのだから、なんという贅沢な暮らしぶりか。やがて、1時間程経つと侵入者は逃げていった。敵が逃げたことを確認すると、クロはヒマラヤ杉のてっぺんまで飛んで行って、「カー カー カオー 」と、それまで聞いたことのないような雄叫びを上げた。野生の雄叫びは原始的で迫力満点だ。
クロ、カコ、あっぱれ!
しばらくして、クロとカコが凱旋してベランダに飛んできた。
「どうだ。見てた? すごかっただろう。」
といわんばかりに誇らしく、いつもより逞しく見える。厳しい野生の中で逞しく必死に生きている彼らに畏敬の念すら覚える。ただかわいい、癒される、だけで彼らと付き合いながらのんびり生きている自分が恥ずかしい。
この事件から数週間後、クロとカコの縄張りにもう1羽のカラスがやってきた。クロとカコは追い払う様子もなく、平然としている。あの壮絶な戦いとは対照的だ。クロたちの子供であればもっと前から雛のいることに気ついているはずである。またクロたちに出会ってからすでに4年が経過するが、クロたちの子供はあの足の折れた1羽のみである。この縄張りに侵入してきた1羽のカラスは何者だろう。追い払わないのは何故だろう。侵入者は1羽のみで力の関係が明らかだったので、敢えて戦いを挑まなかったのかもしれない。さすが、クロたちは弱い者いじめをしない立派なカラスだ。人間学ぶべし。
カラスの仲間になった気分
2015年9月の日曜日の昼下がり、ベランダの手すりに肘をかけてぼんやり遠くを見ていると、いつものようにクロがやって来た。
「おお、来たか、元気?」
少し首をかしげて私の方を見ながら、
「・・・」
無視していると、しばらくしてクロも私が見ている遠くを同じようにじっと見ている。私に誘われて好奇の目で見ているようだ。
「このおじさん、何見てるのかなあ」
私は野生のカラスの仲間になったようでたまらない。クロは人懐こく愛嬌いっぱいだ。
しばらくして、突然、遠くのケヤキの枝にとまっていたカコが、短い間隔で「カーカーカーカー」とけたたましく鳴き始めた。まさに鳴き声そのもので危機が迫っていることが伝わってくる。よく耳を側立てると、近くにいる他のカラスの鳴き声がかすかに聞こえる。敵侵入の警告だったらしい。クロは首を長くして、空を見回しながらカラスの鳴き声に聞き入っていた。そしてすぐさま、臨戦態勢に入り、カコの元に飛び去って行った。まさに不明機侵入時の自衛隊機のスクランブルのようで、小さい体ながら迫力満点だった。しばらくして、敵は自ら飛び去って行ったらしい。のんびりしているように見えるクロでも、いざというときは敢然と敵に立ち向かっていくのだ。頼りになるクロである。
自然の最高傑作
観客が少ない日は、広場に降りて散歩をしたり、ベンチで日向ぼっこをする。このとき例外なく、クロとカコが近くに飛んでくる。ベランダは高いところにあるので飛んでくるのもたいへんなのだろう。広場のほうがすばやくかつ楽に飛んでくるようだ。
クロは私が近づいても落ち着いているので、様々な角度から彼をつぶさに観察することができる。特に斜め下方から見た時のボディは実に美しい。野生であることを感じさせる精悍な顔つき、頭部から尾羽にかけての流れるような、流線形をした全く無駄の感じられない均整のとれたボディ、そして、野生を感じさせる艶やかな黒光りした光沢など、ため息が出るほど美しい。このような美しさをペットにみることはなかなかできない。数億年の進化によって磨き抜かれてきた自然の最高傑作といってよい。腕組みしながら見惚れていると、しばらくして、
「もういいだろう」
といわんばかりに飛び去ってしまった。
対して、あの少年時代に粗末な食事ばかり与えて育てた貧弱な体をしたクロ(クロ一世)のことを思うとかわいそうでならない。こうして、クロとカコをかわいがっているのも、あの少年時代の体験の償いの気持ちがどこかにあるからかもしれない。
気付いていた観客
2015年10月、ベランダでクロたちにマーガリン入りのパンを与えると、どこからか、
「ワ~すご~い!大きいのをもらってよかったね~」
という若い男性の大きな声が聞こえてきた。どうも下の階のベランダからのようだ。しばらくして、30代と思われる、端正な顔立ちをした優しい感じの若者が私のところにやってきた。
「さっきカラスにパンをやったのはおじさんですか?この時間になるとカラスが食べ物を銜えて飛んでくるので気になっていたんですよ。」
見知らぬ若い男性におじさんと呼ばれたのはこれが初めてである。よく考えると私は、おじさんどころかおじいさんと呼ばれてもおかしくない年齢なのだ。
「あ、そうだよ。この場所じゃないと警備員に注意されるからね。」
「いいじゃないですかねえ~」
しばらくして若者は、
「また来ま~す」
と言っての場を去って行った。それ以来彼は来ることがなかった。しかし、この事件により餌付けに気付いている観客が他にもいることが窺われた。しかし、気に留めることでもないのかも知れない。
ヘルニアの手術
2015年12月25日、私はそけいヘルニアの手術をすることになった。実は1年ほど前から足のつけ根(そけい部)のあたりに膨らみを感じていた。通称「脱腸」と呼ばれているものである。筋膜が裂けて腸が皮下に飛び出し、足の付け根が膨らむ病気である。手術をすると少なくとも3か月は趣味のサイクリングはご法度だ。手術後まもなくのサイクリングは、そけいヘルニアに対して最もよくないらしい。趣味にしているサイクリングができないことがつらかったが、日常生活に不自由を感じるようになったので手術を決意した。生まれて初めての手術である。
担当の執刀医は、そけいヘルニアの手術において日本でも有数の名医である某医大の教授だという。自分の体にメスを入れる医者であるので不安だ。さっそくインターネットで検索して執刀医の経歴などを調べた。名医の名に恥じない実績をもつ医者に間違いないようだ。
手術当日の昼の12時に病院で入院の手続きを済ませた。個室で手術用の着物に着替えて手術を待っていた。午後2時頃、個室で点滴用の注射をしたまま、看護婦に案内されて手術室に向かった。まるで、死刑台に向かうようで不安だ。手術室に入ると、一斉に私に視線が向けられた。そこには看護婦と医者が4,5人いたように思う。閻魔大王一族のようにも映る。インターネットで確認していた執刀医と思われる医者の鋭い視線に一瞬“ドキッ”。もう、生きた心地がしない。
間もなくして手術台にあおむけに寝かされた。
「口を開けてください」
マウスピースのようなものを口に詰め込まれると、酸素マスクを装着させられた。心電図の電極だろうか、体の数か所に冷たいものが張り付けられた。
「これから麻酔薬を注射しますね~」
気を失うまでものの十数秒だった。記憶しているのはここまでである。ホッペを叩かれて気が付いたら個室のベッドの上にいた。下腹部が痛い。そのとき手術が終わったことに初めて気づいた。ついに私もサイボーグ人間になってしまったのだ。
手術は比較的簡単なもので、5センチ程度開腹してポリエステルでできた網状のメッシュを挿入し、筋膜が裂けた部位にそのメッシュかぶせて固定するものである。この手術は日帰りも可能というが、さすがにそれは怖かったので1日入院して翌朝帰宅することにした。この手術から2日後は日曜日、クロたちが待っている。医者には少なくとも1週間は安静を保つように注意されている。しかし明日、日曜日に会えないと正月を挟んで、前回会った日から2週間も会えないことになる。待ちくたびれているクロ達の姿が目に浮かぶと居ても立ってもおれなくなった。そして、手術から2日目というのに日曜日の朝、痛みをこらえながら電車に乗って競技場まで出かけた。
手術から10日目、抜糸の日がきた。あの手術から2日目の強行による後遺症を心配していたが、医者には「たいへん順調ですね」と言われたので安心した。
4年半のふれあいを経て
2016年1月、クロたちに出会って4年半の歳月が過ぎようとしている。ほとんど毎週のように競技場に通ったので、これまで200回以上会ったことになる。私の前で緊張してビクビクしていたカコも、最近はかなり慣れてリラックスしてきたようだ。
サイクリングをして競技場に到着すると、専用の駐輪場に自転車を駐輪してから正門まで、しばらく一般道に沿って歩いていく。ここは競技場内からは見えないはずだ。しかも大勢の観客がいる。しかし、クロとカコはどうやって私を見つけることができるのだろう、私が競技場に入る前から出迎えてくれるようになった。テレパシーでも感知しているのかと思いたくなる。ここまで深い関係にしてしまったことに、責任を感じている。しかし、彼らと出会うのは週1回の、しかもわずかな時間だけである。自立心は失っていないと信じているが・・・
平日、彼らには様々なドラマがあるに違いないが、私にはわからない。平和に見えても、彼らは厳しい現実の中で必死に生きているに違いない。
出会うといつも
「クロ。元気?」
と呼びかける。すると、キョロキョロ私の顔を見ながら近づいてくる。
「うん、元気だよ。毎週来てくれてありがとう。」
呼びかけると首を傾けたり目をキョロキョロさせたり瞬きをするなど、明らかに呼び声に反応しているのが読み取れるのだ。
「お腹空いてる?」
「うん」
「普段、何を食べてるの?」
「・・・・」
「町に出てゴミを漁ると追い払われるだろう?」
「うん」
「つらいね」
「うん」
「夜はしんしん寒さが身に染みるだろうね?」
「うん」
「どうだ。いっしょに俺の家まで行かないかい?」
「・・・・」
やっぱり、住み慣れた地は離れたくないようだ。
平日のクロとカコ
ひと昔前に比べるとゴミ対策が進み、町中はかなりきれいになってきた。平日、クロとカコはいったい何を食べているのだろうか。十分な量食べているのだろうか。気になって、平日の彼らの行動を調べてみようと思い、2016年3月の平日の午前、競技場に出掛けた。競技場まで駅から徒歩で15分、この間カラスはほとんど見られない。競技場から離れた高台から、クロとカコが縄張りにしている付近を双眼鏡で覗いてみるが、クロとカコがいる様子は見当たらない。平日、競技場は閉門しているので、人影もほとんど見られずひっそりしている。
しばらくして、住宅街の閑散とした佇まいの中にいのちを吹き込むかのように、競技場の奥の方から「カア カア カア」という鳴き声が聞こえてきた。つれに何かを呼びかけているような優しい鳴き声だ。
「クロちゃん、どこにいるの」
というように、鳴いているのはいつもクロの後を付いているカコに違いない。平日も競技場にいるというのはちょっと意外だった。
競技場の正門まで行って塀越しに中を覘いていると、やがて2羽のカラスが目前に飛んできた。クロとカコの違いなかった。何もしないのに、野生のカラスが自ら人間に近づいてくることはないと思うからである。
「お~い、クロちゃんかい!」
と何度も叫ぶが、1羽が逃げてしまった。いつもと異なる身なりをしていたのと平日だったので、例えクロとカコであっても疑ったのだろう。残りの1羽(クロに違いない)に話しかけようとしたら、競技場の中から警備員らしき服装をした厳めしい感じの男性が近づいてきた。こちらの様子が監視カメラに映っていたのかも知れない。私は面倒なことになるとまずいと思って、コソコソとその場から逃げるように退散した。私はカラスに寄り添って行動している身分、人に対して警戒心が必要なのだ。警備員らしき男性は、首をかしげるような恰好をして視界から消えるまで私に視線を向けていた。カラスに向かって話しかけているおかしな不審人物とみられたに違いない。
彼らは空を自由に飛び回るので彼らを捕捉するのは困難だろう。気まぐれに、しかも短時間で彼らの行動を調べようとしても難しいのは当然だ。クロとカコの平日の行動を調べるのは無理だと諦めて帰宅の途についた。
何とか生きていけるからこの場所に居続けるのだろう。クロたちが競技場からいなくなる日まで、私が病気をしたり年老いたりして動けなくなる日まで、この付き合いは続く。
久し振りの雛誕生
2016年8月、クロとカコは相変わらず仲良しで元気な様子だ。最初に出会ったのが2011年の春だったので、少なく見積もっても7歳前後にはなると思われる。6年以上もの間同じ場所で元気でいるのは、安定してエサを確保できているとともに、のどかで平和な環境にめぐり合わせたおかげだろう。彼らの日常の行動についてはほとんど把握していない。平日は、おそらく近くの繁華街や多摩川の河原でエサを探しているに違いない。また縄張り争いも絶えない。危険ばかりのきびしい野生の世界でこれまで無事でいてくれたことがうれしい。
夏の暑さのせいか、ハゲタカまではいかないがクロとカコの頭の羽毛が抜けてみすぼらしい。いつものように元気な様子なので病気ではないようだ。写真をお見せできないのが残念(彼らはカメラを向けると怖がるので、なるべくカメラを向けないようにしている)。
2016年9月初旬、クロとカコの間に2羽のひなが誕生していたことがわかった。この頃になると、カラスの数が急増し騒々しくなる。雛がいっせいに誕生するためだろう。2016年の初夏頃から、クロとカコの行動がいつもと比べて何かおかしいと思っていた。いつもは2羽でベランダに飛んで来るのに、相当の時間を置いて交互に飛んで来るようになったのである。おそらく卵を温めていたのだろう。クロとカコの雛を確認したのは、2014年9月に、足を骨折した一羽を確認して以来である。この五年間で確認したのは3羽に過ぎない。今回の2羽の雛は健康でとても元気な様子だ。ベランダに立つと、雛がけたたましい鳴き声を上げながらクロとカコの後を追いかけてくる。しかし、クロとカコが雛といっしょにいるときはお土産の食べ物をあげないようにしている。雛まで馴れてしまっては周りに迷惑だし、自分をさらに苦しめてしまうことになるからだ。愛するのはクロとカコでもうたくさんというのが正直な気持ちである。愛は苦痛を伴う。
2016年10月下旬、つい先週まで騒々しく親鳥の後を追いながら餌をねだっていた雛が一斉にいなくなり、いつもの静かな佇まいに戻った。雛は自分の縄張りを求めてどこかへ旅立っていったのだろう。巣立ちからわずか2カ月で自立していくのだ。厳しい野生の世界で必死に生きている彼らの生き方に対して人は謙虚であるべきだと思う。
暖かい外套をまとったようにクロとカコの羽毛もすっかり生え変わった。もうしばらくすると長く厳しい冬がやってくる。
2016年12月3日、競技場は週末恒例の秋の一大イベントが終わり静かになってきた。ベランダに立つとクロが、そしてそのあとを追うようにカコが飛んできた。いつもの口癖で「クロちゃん、久しぶり!元気?」等と問いかけるとノコノコ歩いてきて、私の問いかけに目をクリクリさせながら耳を傾ける。
突然の別れ?
2016年12月25日(日)、今年競技場が開門するのはこの日が最後である。次回の2017年1月5日に開門するまで10日もある。これほど長い間、クロとカコに会わないのはこの5年半でこれが初めてではないかと思う。25日はおやつをたっぷり与えて別れた。そして、2017年1月5日の寒い朝、冷たい風を切りながらいつものようにサイクリングで競技場に急いだ。
競技場のベランダでクロとカコを待っているがいつまで経っても飛んでこない。1時間半ぐらい待ったときだったろうか、遠くの6階建てビルのルーフバルコニーで、互いに毛繕いをしたり嘴を触れ合ったり(キスか?)している2羽のカラスを見つけた。手招きしてもじゃれ合っているばかりでいっこうに飛んでこない。いつもと何か違う。やがて、この2羽は大きな鳴き声を上げながら、いつものクロ達の縄張りに舞い降りてきた。鳴き声もクロとカコとは異なるような気がする。クロはめったに鳴くことはないのに2羽ともカーカー興奮気味にうるさく鳴いているのだ。ベランダでウインナーを手に持って誘うと、やがて1羽が飛んで来たが警戒してなかなか近付こうとしない。ベランダに置いてその場を離れると、警戒しながらそのウインナーをすばやく嘴に銜えて飛び去っていった。やはりクロとカコとは異なるようだ。まだ確信は持てないので来週もう1回だけ来て確認するつもりだ。
どこへ行ってしまったのか?これが最後となった(クロ)
別れを確信
2016年1月14日、この日は今冬で一番の寒気が日本列島を覆い各地で大雪が降っている。大学入試センター試験も大雪の対応で大わらわのようだ。
早朝、凍てつくような寒風に身をさらしながら自転車で府中の競技場に向かった。競技場に到着していつものベランダに立ってクロとカコを待っているが、いつまで経っても飛んでこない。代わりに短い間隔でカーカー鳴き叫ぶ馴染みのない鳴き声が縄張りの方向から聞こえてくる。やはりクロとカコはこの2羽に縄張りを乗っ取られたのだろう。戦いに敗れたのか、自ら去ってしまったのかはわからない。いつかはこのような日がくるとは思っていたが、このような結末を迎えようとは想像もしていなかった。その日は悲しさに首をうなだれながら帰宅の途についた。
相手が動物であっても一度情愛の絆ができると別れがつらい。なにより野生の厳しい世界に身を置く彼らに思いを寄せるのがつらい。愛はときに犠牲や苦痛を伴うのは何も人同志だけのはなしではない。これを機にカラスとの付き合いはこれで最後にするつもりだ。
あとがき
カラスは童謡にも歌われるなど、かつては広く人々に愛される存在だった。しかし、環境破壊による山里での食べ物の減少により、大量の生ゴミが溢れる都市部に集中するようになってから、害鳥として人々に嫌われるようになってしまった。東京都では生ゴミ対策が行われている一方で、トラップによる捕獲も積極的に行われている。私の住んでいる近くの都立小宮公園の中にもトラップがあり、中で多くのカラスがもがいているのを見たことがある。彼らはやがて殺処分される運命にあることを思うと痛ましくてたまらない。私はそれ以来公園を散歩するのをやめてしまった。このようなトラップを、都民の憩いの場である公園の中に設置するというのはいかがなものだろうか。当局の無神経さや想像力の欠如には呆れるばかりだ。どのような施策であってもその後の状況に応じて機動的に見直していかないと、時代にそぐわなくなったり弊害を生じたりすることがある。一度決めるとなりふり構わず突き進んでいくというのは、行政に限らず巨大な組織にはよくありがちだ。トラップによる捕獲はご都合主義の対症療法であり、このようなやり方では根本的な解決につながらないことは明らかだろう。
人は他の動物たちと同じように、悠久の時の流れの中で、自然環境と調和するように進化を遂げてきた。それにも関わらず、生命誕生からの途方もなく長い人類の歴史から見ると、わずかこの50年という表現できないような一瞬の間に科学技術が急激に進歩し、人々の行動や生活様式が大きく変化してきた。そして衣食住に必要な物資の生産や社会活動等あらゆるものが高度に分業化され、ほとんどの人は自分たちの行いが、動物を含む自然環境に与えている影響について自覚することがないだろう。その結果、動物に対する思いやりや自然環境の破壊に対する想像力が希薄になり、人間総体としてその強大な力を自分たちの欲望の赴くままに行使し、自らも危機に陥れようとしている。科学技術が暴走し、人間がそれをうまくコントロールできていないのだ。地球温暖化問題、原発問題、カラス問題等、数え上げたらきりがない。自然との調和のとれた社会の実現を目標とすれば、科学技術も人のこころも理想にはほど遠くまだまだ未熟といわざるを得ない。野生の世界に身をおくと、人間社会のひずみがよく見えてくる。たかがカラス、されどカラス。
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(これまで“競技場‘と書いてきたクロたちの縄張りの在り処は正式には”東京競馬場“でした。これまで他の客には迷惑にならないように細心の注意を払ってきたつもりですが、もし至らなかったところがあれば関係者の方々にお詫びします。東京競馬場は競馬に興味のない人にとってもすばらしい憩いの場所ですのでぜひ出掛けてみてはどうでしょう。農水省の外郭団体だけあって、世界に誇る贅沢な設備やサービス、清潔さにびっくりすると思いますよ。)
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