愚か者ほど出世する;Pino Aprile
先日、図書館で「愚か者ほど出世する」という刺激的なタイトルの本が目に留まった。どこか共感するところあったので、さっそく読んでみた。これがたいへん面白い。この本は、イタリア人ジャーナリストのピーノ・アブリーレ(Pino Aprile)が、ある高名な大学教授と交換した手紙の内容をもとに書いたものである。教授からの論理的で真っ当とも思える手紙に対して、著者のアプリーレが反論するというスタイルで書かれている。ユーモアを交えた面白い内容であるが、笑いの中にも人間社会の本質を突いているようなところがあり、ついつい引き込まれてしまった。日本人の書いた書物ではなかなか見ることができない、知性の中にも大らかさやユーモアが溢れた書である。
この本の第1ページ目には、以下の「バカに関する九つの法則」が書かれている。
1. バカは生きのび、利口は滅びる
2. 死ぬよりバカでいる方がよい
3. 利口に生まれて死ぬよりバカに生まれて生きのびるほうがまし
4. 生きのびたければ知性を犠牲にする必要がある
5. 長生きすると脳が減る
6. 現代人はバカになるために生きている
7. 利口なやつはバカのためにせっせと働き、結果としてばかを量産する
8. のさぼるのはバカばかり
9. 人間は寄れば寄るほどバカになる
この本の内容についてはこの本を読んでいただくとして、上記法則について私なりの感想を述べてみたい。もっとも、この本は科学的根拠があって書かれたものではないので、真面目に論ずるつもりはない。なお以下では、やや乱暴な言葉が飛び交うかもしてないが、これは本書に倣ったものであるのでお許し願いたい。
1.バカは生きのび、利口は滅びる
我が意を得たりといった感じである。暴力が蔓延る組織は知性が劣る(バカの)組織、またはバカが優位な組織であり、利口は、バカのもとでは手も足も口も出せなくなるというのが、これまでの私の人生から得られた経験的な知見である。このことは組織の大小に関係なく普遍的である。逆に言うと、人間が持っている暴力的な本性は、知性や道徳心によって抑制されるということである。なお、誤解してもらっては困るが、このことは、必ずしも知性が劣る人間が暴力的だということを意味するものではない。
古今東西、知識人が虐殺されてきた歴史がこのことをよく物語っている。カンボジアのポルポト政権による知識人の虐殺、中国においては文化革命による知識人の虐殺、ドイツではヒトラーによる有能なユダヤ人の虐殺、ソビエトではポーランドの知識人を一掃したカティンの森での虐殺、最近ではバカ丸出しで攻撃的なトランプ政権の誕生など、取り上げたら枚挙にいとまがない。
また、最近、知性を磨くべき教育現場におけるパワハラや暴力事件が目立つ。ここまでひどくなると怒りを通り越してお笑いになる。これは、自ら、教育機関としての存在を否定するようなものである。
社会においては、知性の高い高潔な人間よりも、攻撃的で声が大きいバカによって支配されことが多い。そのあげくは、次々と明るみに出る組織ぐるみの不祥事である。平和で豊かな社会であることは良いことであるが、一方でそのような社会にあってはもはや高い知性や人格は重きを置かれない。利口な人間は、理屈っぽいので嫌われ、気が小さいのでバカから攻撃されやすい。社会のリーダーは知性・人格ともに優れた者が担うべきだと思うが、多くの現実はそうはなっていない。これからの社会においては、松下幸之助、本田宗一郎、豊田喜一郎、稲盛和夫、盛田昭夫といった高い人格や気骨を持ったりっぱな経営者は現れにくいのかもしれない。
2.死ぬよりバカでいるほうがよい
3.利口に生まれて死ぬよりバカに生まれて生きのびるほうがまし
4.生きのびたければ知性を犠牲にする必要がある
そりゃ、虐殺されるような事態になったらバカを演じているほうがよいに決まっている。しかし、ほとんどの人は普通にしてバカだろうから無関係だと思う。恵まれた才能を持つのも楽じゃない。平凡で幸せがいちばんということ。でもそれがいちばん難しい。
5.長生きすると脳が減る
6.現代人はバカになるために生きている
年齢とともに脳が委縮していくことは良く知られている。一方で、努力次第で年をとっても脳細胞は増殖し活性化するらしい。長生きしたい人は、それなりに努力が必要ということ。目下、年とともに脳が減る最大の心配事はアルツハイマー病であるが、これも近い将来克服されることは間違いない。現在、世界のさまざまな研究機関やベンチャー企業で熾烈な開発競争が繰り広げられている。薬の開発には長い年月がかかるので、その恩恵にあずかることができるのか微妙なところではあるが・・・ そんなことを考えると「長生きすると脳が減る」というのは「バカに関する九つの法則」などという大それたものではないのではないか。
7.利口なやつはバカのためにせっせと働き、結果としてばかを量産する
8.のさぼるのはバカばかり
著者は、天才があるできごとを達成すると、共同体はそれをただ利用するだけで自分の知力を使わないので、利口なやつはバカのためにせっせと働き、結果としてバカを量産するという。
このことは一面正しいと思う。原始の時代、人間は五感を研ぎ澄まして、敵の攻撃を避け、獲物を追いかけながら生きながらえてきた。おそらく、その時代、人間は犬猫が持っているような超感覚ともいえるような鋭い感覚をもっていたに違いない。やがて、人間はその知性によって、様々なものを発明し、豊かで平和な社会を作ってきた。一方で、鋭い感覚は永久に眠りにつくことになってしまった。
また、つい最近までの自給自足の貧しい時代にあっては、すべてのものを自分たちで手に入れる必要があった。創意工夫の努力なしでは生きていけなかったのである。それが、わずかこの50年程の間に、生活はどんどん便利になり、何でも与えられ、便利な時代になってきた。そのため人々は自分自身で考えることをしなくなってしまった。科学技術は進歩するほどバカを量産する。
しかし、知性の高いやつがバカに成果を与えるということ自体は、古代から延々と続けられてきたことである。そして、どんな時代にあっても知性の高いやつは活躍の場を探し求め続けるだろう。一方でバカは増えていき、利口とバカの二極化が進んでいくと思う。
10. 人間は寄れば寄るほどバカになる
著者は、その集団に固有の知的レベルはそこに入るのに必要な最低限度の知力に等しいという。分かりやすくいえば、集団の知的レベルは最も知的レベルの低いものに脚を引っ張られるといっている。例外的に、ずば抜けて能力の高い連中が力を合わせると、知的能力は上昇するということも認めている。
しかし、社会はこの法則通りにならないようなしくみを作っているのではないか。少なくとも義務教育を終えると、入学試験によって一定レベル以上の能力のある者を選抜する。会社に入るには入社試験がある。この法則は一般性がなく、法則というにはかなり無理がある。教授も返答に困ったに違いない。
ついでに、動物も人間に飼われるとバカになる。
人間がサルの子孫であるなら、サルはどうして進化してヒトにならなかったのか?これについて著者は、人間は、人間以外の動物の能力をせっせと刈り取ってきたからだという。つまり、人間は知性がありそうなあらゆる霊長目を絶滅に追いやってきたというのである。言葉を変えれば、自然淘汰は、個人や種が生きていくための戦いにおいて知性がもたらす利益を排除しようとするという。さては、上記「バカは生きのび、利口は滅びる」という法則の本質はここにあるということか。
どんなに頭のよい動物でも、人間に日常的に接触しているとしまいにはバカになるという。人間も社会という枠組みの中で家畜化されているようなものだから、もし動物がそうであるなら人間も同じことではないか。使わない能力は徐々に衰え、やがて脳細胞が消滅していく。そして新たな社会に適応した新たな能力が芽生えてくる。遠い未来、人間がどのように進化を遂げていくのか、面白いテーマである。いずれ考えてみたい。
そういえば、道理で、うちの愛猫ララも野生の鋭い感覚を失ってバカになりつつある。しかし、バカでもよいではないか。ララは幸せそうである。要はバカの中身が問題なのである。
バカになったララ
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