徒然なるままに

あるがままを生きる

ララのこと

昨日(8月30日)、NHKBSで「養老センセイと“まる”〜鎌倉に暮らす〜」』が放送された。養老センセイとは著名な解剖学者で作家の養老孟司さん、“まる”とは、14歳になるセンセイの愛猫の名前である。センセイと“まる”の、自然体であたたかな日常生活を覗き見ながら、時間も経つのも忘れて楽しませていただいた。わたしの愛猫である野良猫ララと共通点が多いのに驚いてしまった。例えば、パソコンのキーボードの上に乗って仕事の邪魔をする、起床時間が正確である、彼等を見ていると何もする気がしなくなる、といった具合である。また、猫は絶対音感により状況を判断する、というのは新たな知見であった。さすが大センセイ。センセイの生き方や考え方には共感するところが多く、日頃から尊敬している著名人のひとりであるが、今回のドキュメンタリーを通じて益々ファンになった次第である。


さて我が家のララとは、出会ってから2年が過ぎた。いまだに身分は野良猫である。私の狭い部屋と外界を往来している毎日である。事情あって、家族に温かく迎えてもらえる環境にないのである。しかし、心配は絶えないが、ララにとって今の生活は食住足り、自由きままで幸せではないかと勝手に想像している。


ララが野に生まれてから今日まで、苦楽を共にしてきた関係なのでとりわけ愛しい。最近では、朝4時に起床して朝食をとると、一休みした後、どこかへノコノコと散歩に出かけて行く。どこへお出掛けかはわからないが、以前よりも家の周りでのんびりしていることが多くなった。時々、ベランダから私の部屋を覗き込で“ニャー”と甘える。お腹が空いているのだろう。おやつを与えるとまたどこかへと消えていく。たまに、わたしの顔を窓越しにびっくりしたような目でジッと見つめているときがある。わたしが目を細めてニッコリすると安心したように、またどこかえと消えていくときもある。帰ってくるのは、単におやつ狙いだけではなさそうだ。


ララは非常に繊細な子である。母親のタマに似たのだろう。 特に心配なのは食べ物の好き嫌いが強く小食なことである。主食のキャットフードはあまり食べない。鶏肉等を炒めて与えても、クンクンと匂いを嗅いで拒否する。そこで、“CIAOちゅーる“といった高価なおやつを与えることになる。野良猫に似合わず、なかなかのグルメである。よく、ベランダで昆虫やトカゲと戯れていることがあるが、絶対に食べようとはしない。ネズミ捕りなど、もっての他といった感じである。


夕方の6時頃になると必ず帰ってくる。さっそく、濡れタオルで1日の汚れをきれいに拭き取ってあげる。抱こうとすると逃げ回るくせに、いったん抱き絞めると目を細めてグルグル鳴きながら甘える。夕食を終えると、ベッドの片隅で丸くなってお休みである。



その後、わたしが寝床につくと、ララは枕の近くにおいた椅子に移動してくる。私と顔を合わせて幸せそうにして眠りに就く。たまに、椅子から降りて、ベッドの上のわたしの背中に体を寄せてくる。その温もりがなんともいえない。ララも愛情に飢えているのだ。



「人も動物も基本的には同じ」、養老センセイのことばが強く印象に残っている。知の巨人がおっしゃっているのだから間違いないだろう。単に解剖学的な類似性を言っているのではないと思う。わたしも全く同感である。人は動物に対して謙虚であるべきだと思う。


おわり

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