徒然なるままに

あるがままを生きる

競走馬の余生

東京競馬場にて



年間約7000頭が生産される競走馬のうち、繁殖場として余生を過ごせるのはこの1割に過ぎない。ほとんどは名目上、乗馬などへの転用として売り渡されるが、実際には殺処分されたり行方がわからなくなってしまったりするケースがほとんどだという。


私が初めて競馬に親しむむようになったのは定年を迎えたいまから7年前、娘が東京競馬場に案内してくれたことがきっかけだった。動物好きだった私は、競走馬の魅力に取りつかれ、毎週のように競馬場に通った。そして、しばらくして上掲の競走馬の厳しい現実を知ることとなる。それから馬が好きになるのと反比例するように、競馬に親しんでいることに対して罪悪感を持つとともに、競馬界に対して強い不信感を持つようになってしまった。


競走馬は「経済動物」のため、引退して利益を生まなくなれば処分されるのは仕方ないという競馬関係者も多い。利益優先の競馬関係者としては当然な考え方だと理解できる。しかし、競走馬には多くのファンがいるのである。処分されることに対して、心を痛めないファンはいないだろう。経済動物である食用の動物と根本的に異なるところである。


馬を含む多くの動物達との関係において、人間とは何と身勝手な生き物だろうか。最近、この問題について深く考えるようになってきた。競走馬の厳しい現実の問題を完全に解決するには、競馬を禁止するしかないだろう。しかし、国や団体に巨大な利益をもたらす娯楽産業に発展してしまった現在、それは到底無理なはなしだと思う。


そのような中、6月30日付の日経電子版に「引退競走馬、福祉に生かす 年内にも滋賀に交流施設、乗馬体験やセラピー、高齢者・家族連れ集客」という明るい記事があったので紹介したい。

「引退した競走馬のファンクラブを運営する日本サラブレッドコミュニティクラブ(TCCJAPAN、滋賀県栗東市)は年内メドに、滋賀県栗東市内に引退馬と人の交流施設を開設する。乗馬体験やホースセラピーといったメニューを提供、競馬ファンのほか、癒やしや健康を求める家族連れや高齢者など年間1万人の利用を見込む。引退馬を治療・再調教する全国初の「シェルター」も併設し、余生を支援する仕組みづくりも目指す。」という。


このような引退競走馬を保護する活動は、これまでにも個人を中心に行われてきた。しかし、経済的な負担はたいへんなものだろうと思う。年間7000頭も生産される競走馬に対して、個人レベルの活動では焼け石に水である。法制度の整備や支援を含めてまさに政治的な問題なのである。多くの競走馬の命を犠牲にしてギャンブルに興じることを、国(農水省)の外郭団体(JRA)が推進しているというのはまさに国家の恥である。


もっともっと、国民がインターネット等を活用して声を上げることが大切である。やがて、それは大きな国民の声のうねりとなって国を動かすに違いない。

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