劇場型社会_哀れ山口クン
高尾山
昼間テレビをつけると、民放局は政治家や芸能人のスキャンダルの話題で持ちきりである。出演者が事件にについてコメントするという番組進行や、映像まで似たり寄ったりである。政治家のスキャンダルにあっては、それが政党支持率に反映される。芸能人にあってはさらし首にされた挙句、引退に追い込まれる。集団ヒステリーの感なくもない。
視聴率競争が激化することによって事件が商業化され、ときに事件の一面のみが誇張されたり歪曲されたりして報道される。どこまで公平に事件が報道されているのか疑問である。例えば、離婚の背景には他人が窺い知ることができない長い夫婦間のドラマがあるわけで、事件の一面の報道のみで他人が公平な判断ができるわけがない。政治スキャンダルにしても、証拠がそろわない段階で、断片的な情報のみを基にアレコレ言ったところで仕方ない。
国会における野党の猛々しい与党追及は、国民の支持を意識しての演出に見えなくもない。やり方によっては攻める側も身を亡ぼし兼ねない。政治家のスキャンダルは、時間をかけてじっくりと公正な捜査を行い、国民にはその経過を逐次報告するだけでも良いのではないだろうか。高い税金を使って重要議案の論議を先送りしながら、延々とスキャンダルを国会で追及するやり方には疑問がある。国会は、もっと本来の政策論争をやってもらいたいと思う。憲法改正など、まさにこの国の将来の命運がかかっているのである。
ところで、先般のTOKIO山口クンの強制わいせつ事件に、多くのファンは耳を疑ったに違いない。この罪名だけでは確かにアウトである。しかし、同じ強制わいせつでも悪意度はピンからキリまであるだろう。キスを強姦と同じ罪名にしては少しかわいそうな気がする。“強制キス罪”というのでもあれば、印象はずいぶん違ったものになっただろう。“強制”についてもどのような状況だったのかわからない。微妙に心が揺れ動く男女の関係、女性が心変わりして訴えれば強制わいせつになり得る。当初公表された内容のみから判断すると「何もあそこまで大げさに騒がなくてもよいのではないか」というのが私の感想である。しかし、詳細な真実が分からない限り公正な判断はできない。いずれにしても、ここまでイメージを悪くしてしまった山口クン、どのような形で回復していくのか、前途多難だろう。でもこの事件をバネに大きくなって再起してもらいたい。
昨今は虚実混交の様々な情報が錯綜している。益々深化する情報化社会にあって、情報に埋没してしまわないために、まずはどのような情報であっても疑ってみる、そして自ら冷静に考えて行動する習慣を身に付けることが大切だと思う。
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