徒然なるままに

あるがままを生きる

一万時間の法則

前稿でも述べたが、私の座右の銘に“継続は力なり”というのがある。地道な努力を続けていけば、やがてその積み重ねがおおきな力となっていくというものである。同様の意味を持つものとして“雨垂れ石を穿つ”とか“塵も積もれば山となる”などがある。平凡ではあるが、何を成し遂げるにも肝に銘じておくべきことわざだと思う。学業や稽古事、仕事でよい結果を出す人は、天才を除き、コツコツと積み重ねる習慣をしっかり身に付けた人ではないだろうか。逆に、中途半端に投げ出してしまう癖をつけると何をやってもうまくいかない。


ではどのくらい継続したら一人前になれるのだろう。ありました。“石の上にも3年”とか“一万時間の法則”である。毎日8時間努力して3年、3時間なら10年である。向き不向きや能力の差もあるので、この“法則”に従ってがむしゃらに頑張れば何でも一人前になるというものでもないと思うが、感覚的にそれほど外れていないように思う。


私事で恐縮だが、65歳になって譜面の読み方の基礎から始めたクロマチックハーモニカも、本格的練習開始から1年になる。練習時間は1000時間にはなるだろうか。“美しく青きドナウ”とか、“エリーゼのために”とかいった心に染み入る名曲もオーケストラに合わせてなんとか吹けるようになってきた。特に“美しく青きドナウ”は速度と音程の変化が大きく、初心者にとって難曲である。原曲をフル演奏できるまで毎日30分練習して半年もかかった。好きじゃないと続かない。


しかし、先日のことYouTubeでまだあどけない顔をした子供が、プロ顔負けの絶妙の演奏をしているのを聴いてハーモニカを投げ出してしまいたくなった。どのような分野にも天才はいるものである。しかし、天才の仕事は凡人の励ましにはならない。凡人が苦労して成し遂げた仕事にはそれなりの人の心を打つ魂が染み込むのである。凡人はコツコツと頑張しかない。






<ついでにわが愛するネコ>

厳しい冬を乗り越えた野良のタマと、すっかり家猫同然になったララ。しかし、“野良”と呼びたくはないが、ララも身分は野良。すっかり馴れて私から離れなくなった。窓を閉めてしばらくすると、こちらをじっと見つめて“ニヤーン”。出してくれという合図である。

ララは土遊びが大好きなようで、ララの体と部屋を清潔に保つのに一苦労である。特に雨の日や雨上がりはヒヤヒヤである。私も子供の頃は泥まみれになってよく遊んだ。ララの土遊びもよく分かる。また、虫を見つけては無心になっていじって遊んでいる。これまた人の子とよく似ている。先日は口元を腫らして帰ってきた。腫瘍かと心配したが、すぐに腫れが引いたので蜂にでもいたずらして刺されたのだろう。これまで様々な動物と付き合ってきたが、顔形は異なっても動物の行動は人の子によく似ている。いや、私のまだ無心な子供の頃とよく似ている。


安心してくつろぐララ

0コメント

  • 1000 / 1000