わがふるさと、雄川の滝
雄川の滝(「youtube投稿動画」よりコピー(承諾済))
NHK大河ドラマ”西郷どん”のオープニングの、エメラルドグリーンに輝く滝の美しさに目を奪われた人も多いと思う。「どこかで見たことのある風景だなあ」と思って調べたところ、なんとなんと、私の故郷の実家の近くにある“雄川の滝“だった。鹿児島県大隅半島の中腹を源流とするなだらかな水の流れは、垂直に切り立った高さ約50m、幅約60mの雄川の滝を落ちて、約8kmの峡谷を錦江湾まで流れ下っていく。この独特の形をした壁面は、たびたびの火砕流の堆積物や火山灰が固まってできた溶結凝灰岩である。
この滝は私が子供の頃は無名の秘境の滝だった。私が子供の頃、この滝の下に降りるには少し下流の垂直に切り立った崖をほぼ真下に降りるやや危険な道しかなかったが、最近遊歩道が整備されているようである。子供の頃はこの滝の崖の付近でよく走り回って遊んだ。いまこうやって生きているのが不思議なくらいである。大人は農作業で忙しく、子供のことは構っていなかったから怒られることもなかった。いまだったら、消防隊かおまわりさんが飛んで来て大騒ぎになったに違いない。何でも自ら自然体験をしながら、危険なものや命の大切さを学んでいく古きよき時代だった。
ちょうどこの滝の上の近くに我が家の農地があったので、農作業の手伝いの合間を見つけては滝の下に降りて、網でテナガエビを漁ったものである。この滝つぼで泳いだこともあるが、とても深く冷たかった。夕方になると、ひっそりした渓谷にこだます水音だけが響きわたり、それはそれは心細くて、兄に対して「ねえ~帰ろう、帰ろう」とぐずったのを覚えている。むかし、この滝に身投げをした人のはなしを耳にしていたからである。
ところで“西郷どん“に出てくる人々の営みや風景は、私の幼児期の思い出とかなり重なるところが多く感慨深いものがある。昭和20年代後半までの農家の建物は築100年も経つような藁ぶきの家が多く、ちょうど”西郷どん“に出てくるあの藁ぶきの家そのものだった。当時の暮しぶりもドラマとそれほど違いがないように感じる。方言といい、舞台設定といい非常によくできている。原作は林真理子さんの、繊細で人情にあふれたドラマである。年を取ったせいか、毎回涙を流してしまう。
<あとがき>
私は子供の頃から、錦江湾から8kmもの奥地に、このような垂直に切り立った滝がなぜ形成されたのか不思議でならなかった。そして、半世紀以上前の子供の頃の風景と、最近の画像を見比べることによりその謎が解けたように思う。現在の写真を見ると、滝の下部が子供の頃に比べてやや奥の方に侵食しているように感じられる。わずか半世紀の間にである。さらに、壁面もかなり侵食しているように思う。凝灰岩という比較的もろい岩石でできているため、かなり速いスピードで侵食や崩壊を繰り返しているものと思われる。仮に滝が100年で平均して20cmだけ移動するとすれば、100万年で2kmも奥地に移動していく計算になる。地球の歴史からすると100万年というのは短い期間である。おそらく、太古の昔、滝は錦江湾近くにあったのだろう。そして侵食と崩壊を繰り返しながら、現在の位置に移動してきたのではないだろうか。もしそうだとすれば、雄川の滝は大隅半島が分厚い凝灰岩で形成されているという、特殊な自然環境によりできためずらしい滝であるということができる。はるか遠い将来、滝はさらに奥地へ移動しながらやがて消滅する運命にあるのではないだろうか。私は地質の専門家ではないので、確かな情報をご存じであればご教示いただきたい。
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