国会はスキャンダル追及のバカ
国会は政治家の情事や失言、暴言などのスキャンダルの陰に隠れて、肝心の真剣な政策論議がよく見えなくなって久しい。国会はお茶の間のスキャンダル劇場と化してしまった。もちろん、マスコミの報道の仕方にも問題があると思う。こうなると、野党も追及される与党も喧嘩両成敗で、政治家に嫌悪感すら覚える。“もういい加減にしてくれ“とテレビに向かって叫んでいる毎日である。加形学園問題に続いて、今回は政府の働き方改革関連法案に関連する裁量労働制のデータの管理に関する問題である。
2月23日付の読売新聞朝刊には、「1日あたりの裁量労働制の調査は1日あたりの平均的な労働時間だったのに対し、一般労働者については、1カ月のうち残業時間が最も長い日に8時間の法定労働時間を足した時間だった。前提条件が異なるデータをそのまま比べるという「高校生なら分かる間違い」だった。」とある。データを提出したのは厚生労働省である。信じられますか?厚生労働省の、結論ありきの不誠実な対応が明らかになったのである。国家公務員は信頼できるエリート集団であるという幻想を捨て、厳しい目で彼等を見る必要がある。
加形学園問題も今回の裁量労働制の問題もその根底にあるものは何か?野党はこの問題にこそ本腰になってメスを入れ、この国を変えていく気概を持って欲しい。そうでない限り、いつまで経ってもこのような問題はなくならないし、問題が起こるたびに国会がスキャンダル追及の場と化し、本来の政治がなおざりにされてしまう。野党も、いつまで経っても信頼されないだろう。
その本質的な問題とは何か?それは、官僚と政治家のなれ合いの体質であると思う。さらには政治と官僚と大企業との癒着である。豊かな社会の中でエリート街道を歩んできた一部の官僚たちは、自分たちの地位や権力維持のため正義や信念もすてて政治家と馴れ合いの関係になっているのではないか。領の良い世渡り上手が得をし、こころざし高く信念を貫く骨太のリーダーが少なくなってきているというのは、企業だけでなく官僚の世界も同じである。いつの時代も政治家、官僚、大企業は強いものに味方し、弱者を切り捨てるのである。
長年の歪んだ人事によって醸成されてきた風土や文化は、強力なリーダーシップのもとでの抜本的な改革なしには変わらないのではないかと思う。人材こそ企業や国の方向を決める最も大切な財産であるとすれば、この国の行く末が心配になる。過ちに懲りず、歴史は繰り返す。
<気分転換>
微妙な距離を保ちながら見つめ合う親子(母猫タマ(左)と娘のララ(右))。親子の絆を引き裂いて子猫を保護したのが生後3か月目、それから4か月経って再会したが、ララは既に大人の体に成長していた。タマが、ララが自分の娘であることに気付くはずもない。しかし、お互いに何か引き付けるものがあるのだろう。こうやって、お互い警戒しながらもいっしょにいることが多い。最近になって、タマもホットカーペット付き小屋で寝泊まりしていることを確認できた。一方、ララはもう私にべったりである。あの命からがらの厳しい野生の生活から、こんなに幸せそうに生きているのを見ると感慨深いものがある。動物たちがその社会で幸せに生きているかどうかは、社会の物質的、精神的な豊かさのバロメーターでもある。
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