徒然なるままに

あるがままを生きる

継続は力なり、されど・・・

     標高800mの入間白岩林道から、はるか遠方に雲に覆われた大岳山を望む(桧原村)


週末はサイクリングを楽しんでいる。先週末、コツコツとペダルを漕いでいたら、自宅の八王子から45km先の、「クマ注意」の立て看板が立っている桧原村の山奥の林道にたどり着いてしまった。これも「継続は力なり」の一つである。2時間も3時間もペダルを漕いでいると、いろいろな考えや思いが巡ってくる。以下に述べる記事は、深山の静寂の中で駆け巡った雑念を後に整理したものである。

(堅いはなしばかりでは疲れるでしょうから、間にその日に撮影した画像を差し込みました。)



                        これでも東京都


私のこれまでの人生の指針となってきた座右の銘に「継続は力なり」というのがある。小さなことでも続けていればやがて大きな力となり成功に導くという意味である。「塵も積もれば山となる」、「千里の道も一歩から」、「涓滴(けいてき)岩を穿つ」といったことわざも似たような意味である。意識的であろうが無意識であろうが、その人なりの生き方がやがて年齢を重ねるにしたがって、大きな個性となって成長していく。年を重ねるほどに、同じ年齢でも人によって大きな違いを感じるようになるのは、永年の日々の生き方の違いの影響が一番大きいのではないだろうか。「男の顔は履歴書である」という。このことわざの意味に男女の区別はないだろう。


              道路脇にさわやかに咲いていたムクゲ(楢原村)


しかし、私の長い人生の中で、このことわざ通りにコツコツ努力を積み重ねた結果、成果につながったものもあれば、努力を積み重ねたが思うように成果が上がらないばかりでなく、家族や周りに多大な迷惑をかけてしまったということもあった。この差は一体何か。それは、日々の行いが、よかれと思って努力しているようでもマイナスに作用していることもあるからである。日々の変化は小さいので、なかなか本人はこのことに気付かない。日々の行いの成果よりも弊害の方が大きければ結果はマイナスである。小さなマイナスでもそれが積み重なっていくとやがて大きな問題となって顕在化してくる。「継続は力なり」とは、プラスばかりでなく、マイナスにも大きな力となることをよく理解して、このことわざの意味を説く人は少ないように思う。何に対して、またどのように日々の努力を積み重ねていくかが、人生をよりよく生きるために非常に大切なことだと思う。


                    薄暗い杉林の林道脇でひっそりと逞しく光輝いているいのち


〇 何に対して努力を積み重ねていくか

最大限の力を発揮するためには敵と己の力を知り、なるべくハンデの小さい適正の高い分野に進むことが重要である。若いほど自分の適性に気付くのが難しいので、優れた個性を発掘し、それを積極的に伸ばしてあげるような社会のしくみがあれば、将来の日本もだいぶ変わっていくのではないだろうか。

「好きこそものの上手なれ」という。子供には、好きなことを思いっきり自由にやらせることが、その子の適性(得意分野)を発見するきっかけになると思う。学校教育のことについては疎いが、がんじがらめの管理教育は弊害あって益ないと思う。むしろ発想を転換して、「自由な教育」を最大のテーマとして教育行政を行っていくのはどうだろう。その基本は「優れた個性を発掘し、伸ばしてあげる教育」である。日本屈指の進学校はどこも自由闊達な校風に溢れ、のびのびとしていることは様々な紙面で紹介されている通りである。個性は自由闊達な環境でこそ芽が出て花開くものだと思う。"自由闊達な風土"は、すべての社会において必要な成長の源泉である。

己の力や適性を良く知ることなく、進路の選択を誤ってしまうと、せっかくの努力の継続が負の大きな力となり、場合によっては人生を棒に振ることに成り兼ねない。このような例は枚挙に暇がないほどよく聞くはなしである。


            これも東京都、神戸(かのと)岩(檜原村)


〇 いかに努力を積み重ねるか

「井の中の蛙」では競争社会の中で生き残ることはできない。事を始めるにあたっては、まずは同じような仲間の中に飛び込み、己の力を客観的に知ることが大切である。また、誤った方法や自己流のみで努力を積み重ねても成功はおぼつかない。先人たちの教えや知恵をベースに、正しい方法で努力を積み重ねていくことが大切だと思う。


            クマじゃなくてよかった、ホッとした瞬間


人生の生き方などの難しいはなしは別として、「継続は力なり」を実行すると確実に成果につながるものがある。眼に見える日々の良い行いがそうだろう。この記事を読んでおられるお宅の浴室や台所の壁はどうだろうか。無頓着に長いこと掃除をしないでいるとカビやススに汚れた油膜だらけになって、やがてそれは壁材や目地の組織に浸透してなかなか取れなくなってしまう。しかし、毎日たったの5分だけ雑巾がけをする習慣を身につけると、10年経っても20年経ってもピッカピッカを保てるのである。このような例は数え上げたらきりがない。よい行いを継続したいものだと思う。偉そうなことを書いたかも知れないが、長い人生を振り返ると私自身反省しきりである。


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