ディープラーニングの歴史と未来
今回から数回にわたり科学技術の歴史と未来について論じてみたい。とはいえ、科学技術史は学問体系として確立しており、学術的な論文も数多い。片手間に正面から同じような科学技術論を展開したところで意味もないし、太刀打ちできるものでもない。そこで、長年企業の研究開発の現場にいた私が経験したことや感じたりしてきたいくつかの事例の中で、特に一般の関心が高いと思われる分野について、エピソードもはさみながら独自の視点でその発展の歴史や未来について概観したい。第一回目は、何かと話題になっているAI(人口知能)人気の原動力となっているディープラーニング。
2016年3月、Google傘下のDeepmind社が開発したAIコンピュータソフト“AlphaGo(アルファ碁)”が、世界トップクラスの囲碁のプロ棋士に勝利したことにより、AIが一般の人にも広く認知されるようになった。日本においても2016年11月の「第2回囲碁電王戦」の第2局で、囲碁ソフト“DeepZenGO”が趙治勲名誉名人に初勝利したことが話題になった。蛇足ではあるが、この“DeepZenGO“の開発者である加藤英樹氏は、大学(東工大)時代、私と同じ研究室に出入りしていた同輩である。40年程前のことであるが、輪講では切れ味鋭い突っ込みにタジタジしたことを昨日のことのように覚えている。彼も還暦を過ぎていながら、このような最先端の技術分野で日本中に話題を振りまいているのだから半端じゃない。心からエールを送りたい。
1. ディープラーニングの歴史
ディープラーニングとは人の神経細胞をモデルにしたニューラルネットワークを用いた学習のことである。ニューラルネットワークは、多数のノード(神経細胞に対応)が配列された複数の層からなり、各々の層が相互に複雑に連結されている。
ディープラーニングによる学習においては、脳が複数の部位で役割を分担して対象物を認識するように、入力に近い層では単純な図形を抽出し、出力に近い層ではそれらを組み合わせた複雑な図形を認識して対象物を認識するように層間の結合の強度が調整される。(ディープラーニングに関するもう少し詳しい説明は、例えばこちら)
現在のニューラルネットワークの原型は、1957年にアメリカのフランク・ローゼンブラットによって考案されたパーセプトロンにさかのぼる。
国内において今日のディープラーニングにつながる最も先駆的な研究は、NHK放送技術研究所(のちに大阪大学教授)の福島邦彦によって1979年に発表されたネオコグニトロンである。福島はネオコグニトロンの自己組織化機能により手書き文字の認識が可能なことを実証した。蛇足であるが、今から30年程前のこと、福島先生の講義に参加したときの、神経回路モデルの研究一筋に打ち込んでおられた先生の眼が少年のように純に輝いていたことが忘れられない。
1980年代前半、デビッド・ラメルハートがディープラーニングの新たな学習方法である“バックプロパゲーション”を一般化させると、下火になっていたニューラルネット研究のブームが再来した。私もこのブームに乗って、一時期ニューラルネットワークに高い関心を寄せていた。しかし、学習のためのサンプルの数やその選び方、アルゴリズム、システムの動作速度等、改善しなければいけないところが山積しており、民生商品へ応用するには程遠いレベルだった。近い将来の製品への応用を目的としていたのであえなく研究を中止した。そして、1990年代初めになるとAIブームも、湧き上がるブームにたびたび警鐘を鳴らしていた上掲福島邦彦氏の予想通り、またも下火になってしまった。実用化のレベルには程遠く、まだまだ地道な研究が必要なことを最もよく見通していたのが、日本におけるニューラルネットの草分けである福島氏だったのだろう。
私がニューラルネットの研究から遠ざかってからおよそ20年後、2012年に開催された画像認識コンテストにおいて、カナダ・トロント大学のGeoffrey Hinton教授のチームが改良したディープラーニングを適用し、非常に高い精度を実証したことによりAIの新たなブームが到来した。そして、冒頭に延べたように、2016年3月、Google傘下のDeepmind社が開発したAIコンピュータソフト“AlphaGo(アルファ碁)”が、世界トップクラスの囲碁のプロ棋士に勝利したことが報道されると、AIが一般の人にも広く認知されるようになった。そして、文字認識や画像認識、音声認識、株価の予測等、我々の生活の様々な分野での応用が現実のものとなってきたのである。
以上、ディープラーニングを中心としたAIの歴史について簡単に述べてきたが、最近のAI技術の発展は、単にディープラーニングの基礎研究の進展のみならず、インターネットの発展に伴いビッグデータの入手が容易になったことや、コンピュータの処理速度が向上したこと等によりもたらされたものである。ニューラルネットが広く一般に認知されるまで、その創成期から苦節50年以上が経っている。
このように要素技術の創成期から広く実用化されるまで数十年の歴史をたどるものが少なくない。民生用として実用化されるためには、機能、性能、大きさや重量、コストのいずれにおいても洗練されたものが要求されるため、他の技術進歩と融合して商品化するまでには長い時間がかかる。したがって、企業の開発部門においては、このタイミングを見誤ると、“いち早く莫大なの投資をして研究開発をしたが実用に至らず中止や中断”というようなケースが非常に多いのではないかと思う。実際、私も数多くのこのような事例を見たり経験したりしてきた。もっとも、このような研究開発は、技術論文の発表や特許の公開を通じて累積的に技術進歩を遂げる社会にとっては有益なことではある。企業の社会貢献のひとつでもある。しかし、企業は利益を追求するところである。研究開発の無駄をなくするため、技術の創成期から実用化までの、世の中のニーズや関連技術の進展に合致した技術開発のロードマップを的確に描ける、センスの高い人材の発掘と育成が欠かせないと思う。アップルのスティーブ・ジョブズのような人材である。
2. AIの未来
私はAIの専門家ではない。だからこそ自由に夢を語れるかも知れない。
以下、(1)AIの近未来、(2)究極のAI、と題して私見を述べたい。特に(2)はSF小説にもなるような内容であるので気楽に読んでいただきたい。
(1)AIの近未来
生物は数十億年という途方もなく長い時間をかけて、地球環境に最も適した合理的で機能的な働きをするような構造に進化してきた。生物はまさに自然の神が創造したものである。科学技術の多くは生物の働きや構造をモデルとして、それを模倣することにより発展してきた。ディープラーニングも人の脳細胞を模倣したものであり、人間が得意とする画像認識や言語処理に威力を発揮しているというのもなんとなく頷ける。基本アルゴリズムがさらに改良され、コンピュータ技術の発展と相俟って処理スピードも速くなり、さらなる進歩を遂げていくことは間違いない。
近未来的には、過去の経験や記憶に依存するようなエキスパートの世界は、かなりの部分がディープラーニング等の手法に基づくAIに置き換わるというのは誰もが想像できることだと思う。例えば、経験に基づく学習や予測の精度が成果に直結するトレードの世界においては最適なツールではないだろうか。また、ビッグデータとAIを組み合わせた、個々人の特性や価値観、嗜好等に応じた様々なサービスも増えてくると思う。これまでの科学技術の歴史で、想像するものはほとんどが実現していることを考えると、遠い将来においては、我々の想像をはるかに超えたものまで出現してくることも間違いないと思う。
では、エキスパートなどの失業者が増えるだろうか。人間の脳細胞(ニューロン)は脳全体で千数百億個になるという。その一つ一つの脳細胞が極めて複雑な構造をしており、神秘的で巧妙な働きをしている。それに比べると、現在実用化されているニューラルネットワークは極めてシンプルな構成である。ニューラルネットによるAIは、ある目的に特化した機能に対しては人間の能力を越えることがあっても、総合的な能力においては人間にはるかに及ばない。もちろんディープラーニングがAIのすべてではないが、近未来的に人間と同じような多様で高度な知能を持ったAIが出現するとは思えない。あくまでもAIはエキスパートの補助的なツールとして進化していくと思う。そして相乗的に生産性やサービスの質が向上していく。社会の生産性が向上すれば、富を得た労働者はさらに質の高いサービスを求めるだろう。そして、新たなビジネスも生まれてくる。日本において、戦後の貧しい時代から高度成長時代を得て経済的に豊かな社会が実現したように、科学技術の発展によりさらに豊かな社会に発展していくと思う。悪用は防がないといけないが、科学技術の進歩がもたらす未来はバラ色である。
(2)究極のAI
ディープラーニングの応用は始まったばかりである。今後も人間の補助的ツールとしてさらに発展していくと思う。AIのもう一つのアプローチとして、生殖から細胞分裂を得て生命体が出来上がるまでの過程を忠実にシミュレーションする方法があると思う。生体の構造を抽象化した数学的モデルを構築するのではなく、コンピューター上で生体を完全にコピーしようというアプローチである。ips細胞から個々の臓器ができるように、脳だけのシミユレーションも可能になるかも知れない。自然の原理はシンプルで美しい。1個の細胞が分裂を繰り返して生体を自己組織化していくのと同じように、意外と簡単に人を完全にシュミレーションした仮想生命体を創造することができるかも知れない。科学は夢はおろか我々の想像を超えたものまで実現していく。今後、生命科学の進歩とともにシミユレーション技術も進歩し、完全な仮想生命体を作ることができる日がいつか来ると思う。現実に人間という生命体が存在するのだから。しかし、仮に仮想生命体ができたとして学習はどうやるのだろう、仮想生命体に果たして「心」が宿るのだろうか、などなど興味は尽きない。
遠い将来、
・ 仮想生命体が人と同じような市民権を得る、社会のリーダーや国家のトップになる。
・ 仮想生命体がロボット工場を乗っ取り、自分の肉体を作ってしまう。精神と肉体が分離した新種の生命(こうなるともはや人工生命ではない)の誕生である。
・ 仮想生命体が自己増殖しながら高速に進化していく。そして独自の仮想生命体国家なるものを作ってしまう。
囚われのない素人の想像は限りなく膨らんでいく。
いずれにしても、実現するにはヒトゲノム計画のような国家レベルのビッグなプロジェクトが必要になるのではないだろうか。もっとも、素人が考えるようなことは既に誰かが考えていることが多いものである。米国などを中心として相当研究が進んでいる可能性もある。
つぎに、このことによる科学的な意義について考えてみたい。
(1)医学が飛躍的に進歩する。
現在新薬の臨床試験には5~10年かかっており、研究費の増大、臨床試験失敗による経営リスク、薬価の高騰、患者の新薬の利用機会の逸失など様々な問題を抱えている。仮想的な生命体を使えば試験が容易になるので、これらの問題が解決される可能性がある。また、遺伝子組み換えなどによる実験結果を容易に確認できるので、癌や難病等の研究が飛躍的に進展すると思う。ゲノム全体の中で遺伝情報は約5%といわれている。遺伝情報以外のゲノムの働きは、いまだほとんで解明されていない。様々な病気と関連しているともいわれている。もしシミユレーションできればその解明も進むだろう。
(2)「心とは何か」について本格的な科学のメスが入る。
これまで科学がタブーとしてきた「心」または「精神」について科学的なメスが入り、その解明が飛躍的に進展していくかも知れない。そうなると、まさに科学歴史上の革命である。宗教、死生観、価値観等を大きく変えるほどのインパクトを与えるかも知れない。
(3)人間の能力をはるかに越えるAIが実現する。
シミュレーションによる遺伝子操作が容易になるので、人間の能力をはるかに凌ぐ人工生命が誕生する可能性がある。悪用されれば恐ろしい。使い方を間違うと逆に人間がAIに使われ兼ねない。よく「AIは人間の能力を越えるか」ということが議論される。どのような能力であろうと本アプローチこそ人間を越えるAIの実現を可能にするのではないだろうか。
おわり
次回は「カメラの歴史と未来」の予定
<ご参考>
軌を一にして、4月11日付の日経電子版に「AIの発達は脅威か ノーベル賞学者4人に聞く」という記事が掲載されたのでその一部を抜粋して紹介します。
- 以下4月11日付、日経電子版の記事を引用 -
利根川進・理化学研究所脳科学総合研究センター長
――人の脳をAIで再現できると思いますか。
「人間の脳は、進化の過程で遺伝子を取捨選択し、様々な機能を獲得してきた。それらを機械に導入し、人間と同じことをさせるということは起こらない。人間の脳はAIのように『碁ができる』とか『ネコをネコとして認識できる』といった、1つや2つの能力を持っているわけではない。アートに強い、リーダーシップを発揮するなど、人間の多様な面を全部入れ込んだAIは当面できないと思う」
エドバルド・モーセル・ノルウェー科学技術大学カブリ統合神経科学研究所長
――AIの発展をどう評価しますか。
「科学者にとって、とても重要なツールではあると思う。膨大なデータや情報をAIで解析することで、複雑な脳を理解する助けになるだろう。しかし現在のAIの能力には限度がある。例えば機械はまだ創造性を持っておらず、指示されたプログラムしか実行できない。人の脳ができることのうちごく一部を極端な形で実行できる機械にすぎず、人間の脳が不要になることはない」
ジョージ・スムート・米カリフォルニア大学バークレー校教授
――AIは人間にとって脅威だと思いますか。
「AIが悪魔を作り出して世界を乗っ取ると懸念する人もいるが、そのリスクは高くないだろう。個人的には、人が新しい技能や職を見つける前にAIが進化し、半数以上の人がAIに劣る時代が来てしまうリスクの方が大きく、顕著だと思う。人は職を失い、政治的に不安定になる。社会全体でそれに備える必要がある」
エリック・マスキン・ハーバード大教授
――AIは、世界をどう変えると思いますか。
「消費者の観点から見れば、必ずよい方向に変わっていく。今でも、運転する時にグーグルマップを使えば最速のルートを教えてくれるし、本が読みたければアマゾンがお薦めの本を教えてくれる」
「労働者の立場からは、仕事が奪われるのではという心配があるかもしれない。しかし、すぐには置き換わらないと思う。長期的には、かつて肉体労働者が機械に仕事を取られてしまったように、AIに取って代わられる仕事もあるだろうが、そのときには新しい仕事が生まれるだろう」
0コメント