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AIは熱狂から幻滅(よみうり)?




最近、「AI」ということばをよく耳にする。こんな中、11月11日付の読売新聞朝刊の第33面の、『「AIは万能」誇大広告』という記事が気になったので、ひとこと述べたい。


前稿の「ディープラーニングの歴史と未来」でも述べたが、現在話題になっているAIは、人間の脳について、まだまだ解明されていない部分が多い中で、そのごく一部の機能を模倣したものである。また、現在のAIの基本構成は、人間の脳に比べると比較にならないほどシンプルなものである。人間の脳は、ニューロンとは構造も機能も異なるグリア細胞が重要な働きをしており、それが直感や創造性といった、現在のAIが最も不得意とする機能に関わっているのではないかという見方もある。まだよくわからないところが多いらしい。そのような段階において、AIを人間と比較して“AIに幻滅”などということ自体おかしいのである。


人間とは複雑で奥深い生き物である。私は、自然の神が数十億年に渡って創造してきた人間は、この自然界で最も合理的にできており、それを越えられるようなAIは実現しないと思う。実現するためには、「人間とは何か」をまず理解しなければならない。しかし、それすら深遠で難しい哲学的な問題である。人間の創造は、生殖という最も神聖な自然の営みに任せればよいではないだろうか。


そもそも、人間と同じようなAIを作る意味がどこにあるのだろうか。それよりも、AIは特定の機能に特化した方向で、人間の働きを手助けするように進歩すればそれで十分だろうと思う。現在のAIはその方向で着実に進化している。


過去に大きなAIブームが2回あったことは良く知られている。いずれも、実用には遠く及ばないレベルだった。しかし、今回のAIブームが過去の2回のブームと大きく異なるのは、現実に実用化され大きな成果を上げていることである。この流れは留まることなく、今後さらなる改良が加えられながら社会の中に浸透していくことは間違いない。もはや、AIが定着するかしないかといった議論をしている段階ではないのではないだろうか。


AIが着実に進歩していく一方で、AIの現状を正しく理解することなく、過大な期待ばかりが先行し、野次馬的な誇大広告も多いのも事実である。これは新しい技術が登場するときにはつきものの社会現象である。これをブームというのであれば、ブームはAI発展の妨げになるばかりである。AIの発展とブームは切り離して考えるべきではないだろうか。一方、これらの負の側面ばかりに目を向け、技術の本質を理解しようとしないのもまた問題である。AIの現状を正しく認識し、未来の可能性について議論が深まることを期待したい。


ガートナーのハイプ・サイクルの”幻滅期”とは、あまりにも高まった期待が落ち着く期間のことである。しかし、この点で今回の読売新聞の記事を読んだ一般の読者は、”幻滅”をあたかも”衰退”と同様の意味に誤解してしまうのではないだろうか。ガートナーのハイプ・サイクルの意味を分かりやすく説明するところから始めるべきだったと思う。



ついでに

高尾山(2018/11/11)

晩秋の紅葉は物悲しい。

先日の日曜日、高尾山は人人人の波だった。


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