「唯脳論」から30年
異才を放つ解剖学者の筆頭が、「胎児の世界」の著者として知られる三木茂夫、次にこれから紹介する「唯脳論」の著者である養老孟子である。「唯脳論」は、いま社会を大きく変えようとしている人工知能のさきがけであるニューラルネットワークの研究がブームだった、いまから30年程前に話題になった書である。私も養老氏の講演会に参加したことがある。講演会のタイトルも「唯脳論」だったと記憶している。しかし、ニューラルネットワークの研究との接点がよくわからず、退屈して氏の似顔絵を描いて遊んでいたことを覚えている。養老氏は今では白髪の老人であるが、当時は、黒髪フサフサの溌溂とした坊ちゃんのようなかわいいい顔立ちが印象的で、思わず絵筆が動いてしまった。あれからもう30年も経ってしまったのかと思うと、時の流れの速さを感じないではおれない。
「唯脳論」とは、人の活動を、脳と呼ばれる器官の法則性から、全般的に見ようという立場である。解剖学者が書いた本ということでとつきにくい感じがするが、要はこの社会は人工物できており、それは脳が作り出したものであるという当たり前のことを述べているに過ぎない(と思う)。本書のエピローグの「脳と身体」との関係の記述は、養老氏の思想が最もよく表れている部分ではないかと思う。しかし、難解であり、凡人にはところどころしか理解できない。その一部を紹介する。「脳化=社会で最終的に抑圧されるべきものは、身体である。ゆえに死体である。死体は「身体性そのもの」を指示するからである。脳は自己の身体性を嫌う。それは支配と統御の彼方にあるからである。・・・個人としてのヒトは死すべきものであり、それを知るのは脳である。だからこそ脳は、統御可能性を集約して社会を作り出す。個人は滅びても、脳化=社会は滅びないからである(250ページ)。」
私が前稿の「社会の幻想」の中で紹介した現代社会の様々な問題も、脳化=社会の一側面である。その意味で、唯脳論の内容と軌を一にする。「唯脳論」が最初に刊行されたのは1989年である。“何をいまさら”と言われるかも知れない。しかし、この四半世紀の間に、世の中はハードウエア中心の社会から情報通信化社会に大きく舵を切り替え、いままさにその技術革命の真っただ中にある。未来はますます脳化の社会と直面せざるを得ない。これからの情報化社会の在り方を考えるうえで、本書を読み直してみると、また新たな知見が得られるかも知れない。とはいえ、本書はどこまで深読みすればよいのかよくわからないところが多い。なかなかの難書である。
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