徒然なるままに

あるがままを生きる

生涯精進

最近、あるクロマチックハーモニカの第1人者であるT氏のブログを、朝一番に読むのを楽しみにしている。とくに毎日のように公開していただいている演奏を聴くのが楽しみである。まさに非の打ちどころのない完璧な演奏である(と思っている)。しかし、先日、T氏がご自身のブログで、「自分の演奏を録音したものを後で聴くと、恥ずかしくなる。」などというようなことを書いておられたのが強く印象に残った。


T氏は私と同じ60代も半ばを過ぎた年齢で、クロマチックハーモニカ演奏の頂点を極めた方である。あこがれの存在でもある。しかし、この年になってもご自身の演奏に満足しないで精進されている姿には感動する。心を揺さぶられような素晴らしい演奏の背景には、妥協を許さないたゆまなぬ研鑽があるのだろう。


人は努力をして成長していく過程で、自分の力を客観的に評価できるようになる。そしてさらに力をつけていく。そしてこの力の評価は、相対評価、つまり他人との比較によるところが大きいと思う。T氏のように頂点を極めた人は自分との戦いであるだろうが、成長過程において大切なことは、その分野の一流の人たちと競い又は目標にしながら努力することが、自分の能力を客観的に把握しつつ、より早く目標に到達する上で大切なことと思う。特に競争の最たるさまざまな受験の世界においてはそうだろう。「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがある。これについてはいろいろな解釈があるかも知れないが、私は、自分の殻に閉じこもっていては、何事も成就できないことの戒めと解釈している。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ということわざにも通じるところがある。


しかし、人の価値観はそれぞれであり、「井の中の蛙大海を知らず」を、「世間の荒波を避けながら、マイペースで生きていくのがいちばん幸せである」と解釈する人もいるだろう。しかし、世間の荒波から逃れて平凡に幸せに生きることがいちばん難しいのではないだろうか。


人は自分の力を客観的に知り、努力を積み重ねることにより、より謙虚になっていく。他人に対してやさしくもなっていく。研鑽を積めば積むほど、自分の非力を認識するようになるからである。そしてこの行いが終わったとき、その人の成長は終わるのである。最もいけないのは、自己の非力をわきまえず傲慢になることだろう。年齢にかかわらず、生きている限り、自己研鑽の努力を続けることが、自分の為だけでなく他人を刺激し、より明るく豊かな社会の実現に貢献することにもなると思う。


高齢化社会が深化していくこれからの時代は、生涯精進の心得が益々重要になっていくと思う。一方で、高齢者が活き活きと活躍できる社会の仕組み作りも、今後真剣に取り組むべき大きな課題だと思っている。これについては、機会があれば別途私見を述べてみたい。


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